2008年03月07日

アレクサンダー・ガヴリリュク

「クラシック倶楽部を楽しむ」 本日のプログラム

[BShi 2月28日放送分]

アレクサンダー・ガヴリリュク ピアノ・リサイタル

(演奏曲目)
  ラフマニノフ 練習曲「音の絵」作品39
  モシュコフスキ 熟達の練習曲 作品72 第11 変イ長調
  バラキレフ 東洋の幻想曲「イスラメイ」

(会場)
  東京オペラシティ コンサートホール

[所感]

今回の「クラシック倶楽部を楽しむ」は、アレクサンダー・ガヴリリュクのピアノ・リサイタルです。

ガヴリリュクについては、将来有望な若手ピアニストという評判を聞いていましたが、実際の演奏姿を見るのは初めてでした。

今回の演奏は、ガヴリリュクが23歳の時のものということですが、すでに17歳のころから日本では彼の才能は認められていたようです。

テロップでは2002年に交通事故で再起を危ぶまれたことを克服して、2005年にはルービンシュテイン・コンクールで復活の優勝をしたと紹介されていました。

不死鳥のように復活し、日本公演も多いということから日本にもファンがたくさんいるようです。

まず、舞台に登場して、ピアノの前に座るとしばらくの間沈黙してから、ラフマニノフの「音の絵」を弾き始めます。

背中を丸めて、まるでピアノに襲いかかるような様子で演奏するのですがピアノから出てくる旋律は決して悲鳴ではなく、クリアで説得力のある骨太の音色です。

第1曲:水がぼこぼこ激しく湧き出ている。やがて清流になり、堰を落ちながら流れていくのだが、絶え間なく水はぼこぼこと湧き出し続ける。

第2曲:広い平原に靄が一面かかっている静かな情景。風が吹き、あたり一面に大粒の雨を降らせるが、やがてもとの静かな靄に覆われた広い平原の風景を取り戻す。

第3曲:「大変だ、大変だ。号外だよ。」「どれ何の事件なんだ。」と人々が集まって号外を奪い合う。「大変だ、大変だ。号外だよ。」と言いながら号外配りは駆け抜けていく。

第4曲:子供たちが面白い遊びを見つけて、みんなで遊びまわっている。それを見ていた大人たちも、子供たちに一緒に加わって遊び始める。

第5曲:港に停泊している漁船に、打ち寄せる波。かなり激しく漁船に打ち寄せている、がやがて波は静まっていく。

第6曲:大きな魚がえさを求めておよぐ。小さな魚は食べられないように逃げまどう。その様子を見ていたもっと大きな魚が大きな魚も小さな魚も一気に飲み込んでしまう。

第7曲:食肉の獰猛な恐竜が獲物をとらえて食べている。その場所から巨木の間を通して草食の恐竜がのんびりと群れをなしている。

第8曲:真空の多角形の容器の中で、ボールがあちこちに跳ね返りながら、止まることを知らず跳ね回っている。

第9曲:地下帝国ではネズミとモグラの戦いが始まっている。

ピアノの演奏者にとっては決して易しいとは言えない作品と思えますが、ガヴリリュクは相変わらずピアノに襲いかかるようにして9曲を一気に引いてしまいました。

ガヴリリュクは聴く者に息をつかせる間もないほど、どんどん音の世界に引き込んでいきます。

技術がどうの、音楽性がどうのではなく彼のもっているエンターテイメント的才能なのでしょうか。

彼がこの曲を弾いているときに、どんなことを思い描いているのか是非聞いてみたいものです。

第2番目は、モシュコフスキの「15の熟達の練習曲作品72」から第11番を演奏しました。

それほど長い曲ではないのですが、聴いていると重い荷物を積んだ荷車が、果てしなく長い坂道を上ったり下ったりしながらずっと進み続けるようで、疲れてしまいます。

ガヴリリュクは、弾き終わった後でも少しも疲れた様子も見せず笑顔を浮かべています。

聴く者をこれだけ疲れさせておいて、本人はケロッとした顔をしているなんて、と腹立たしくもなりましたが、音楽の世界でのことでは仕方ありませんよね。

第3番目はバラキレフの「イスラメイ」です。

前のモシュコフスキですっかり疲れさせておいて、今度は速い踊りのようなテンポで「早く行け、速く走れ!」と追いかけられる気分になってしまいます。

「なんて非情な!」と思って逃げていると、展開部になってやっとオアシスのような休憩の場が開けてきます。

「助かった、休めるぞ。」と一息ついているのも束の間、また、最初よりも激しく「もっと行け、それ行け!」とばかり追いかけられる羽目になります。

何故か、追いかけている旋律にハンガリアン狂詩曲のようなメロディが現れたりして、追いかける方は笑って楽しんでいるようです。

演奏が終わると、また何事もなかったように微笑んでいるガヴリリュクを見ることになるのです。

本日の「クラシック倶楽部」はNHKのスタッフの意図的企画でガヴリリュクの技術的な凄さを見せつけられたような気がします。

ピアノに襲いかかるような勢いで、ピアノを征服してしまうこの若い演奏家ガヴリリュクが、ショパンやモーツアルトをどんなふうに演奏するのか、聴く機会をまた是非作ってほしいと思いました。

以上、「クラシック倶楽部を楽しむ」でした。
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2008年03月06日

庄司紗矢香

「クラシック倶楽部を楽しむ」 本日のプログラム

[BShi 2月28日放送分]

Aプログラム
(演奏曲目)
  チャイコフスキー バイオリン協奏曲 ニ長調 作品35
       バイオリン 庄司紗矢香
         管弦楽 ウラル・フィルハーモニー管弦楽団
         指揮  ドミートリ・リス

Bプログラム
(演奏曲目)
  スメタナ わが祖国から 交響詩「モルダウ」
         管弦楽 東京都交響楽団
         指揮  小泉和裕

(会場)
  東京国際フォーラム ホールA(ラ・フォル・ジュルネ音楽祭2007)

[所感]

今回の「クラシック倶楽部を楽しむ」は、ラ・フォル・ジュルネ(熱狂の日)音楽祭2007で企画されたプログラムから第4弾です。

演奏曲目は、庄司紗矢香によるチャイコフスキーのバイオリン・コンチェルトと東京都交響楽団によるスメタナのモルダウです。

A プログラム:

 Aプログラムは、庄司紗矢香がドミートリ・リスの率いるウラル・フィルハーモニーとチャイコフスキーのバイオリン協奏曲を演奏します。

庄司といえば、99年にパガニーニ国際バイオリンコンクールで史上最年少優勝を果たし、一躍有名になったわけですが、それから9年という年月が流れ、彼女がいまチャイコフスキーをどのように表現してくれるのか本当に楽しみです。

さて、庄司が朱に近い赤いドレスで舞台に登場します。

ウラル・フィルハーモニーが導入部を演奏し始めます。

今まで気がつかなかったのですが、指揮者のリスは比較的大きな動作で棒を振っています。

いよいよ庄司のバイオリンが歌い始めました。

庄司の手のひらは意外と小さいのに驚きました。

そして細い指先は大きく見えるバイオリンの指板上を激しく動き回ります。

庄司は、自分の作り出す音の一つひとつに納得するかのように頭を振りながら弓を力強く運んでいきます。

第1楽章のカデンツアでは、ハイフェッツ編(?)を取り込んでいたのでしょうか、庄司の演奏はいつ聴いていてもむらがなく安定しています。

リスは、庄司の演奏が心地よく響いてくるせいか、オーケストラパートになると我を忘れて気持ちよさそうにハイテンポになって繋ぎます。

ですから、バイオリンソロの部分とオーケストラパート部分のテンポの違いが大きすぎて、少し違和感を覚えました。

また、時々庄司が演奏しながらニコッとする場面がありましたが、おそらくオーケストラとの駆け引きが打ち合わせとは違っている、という表情ではなかったかと感じられます。

このように考えると、クニャーゼフのときも、ベレゾフスキーのときもバックを演奏したのはリスの指揮するウラル・フィルハーモニーでしたから、リスの方にもかなり問題があったのかもしれません。

庄司は、クニャーゼフやベレゾフスキーとは違って、柔軟性と許容力がある演奏をしていたのでしょう。

最後まで、オーケストラとはトラブルを起こさずに、見事チャイコフスキーを弾き切ってしまいました。

しかしながら、庄司もオーケストラに合わせなければならない分だけバイオリンに無理をさせていたせいか、特に弓を飛ばして演奏する部分などは音色に雑音が入ってしまい、いつもの勢いが感じられませんでした。

このようにして、庄司のチャイコフスキーは一見何事もなく終わってしまいましたが、オーケストラとの困難な状況の中にあっても、自分の感性を出しつつまとめていったこの若い演奏家には、相当の人間性を持った器量というものを感じました。

クラシック倶楽部ではラ・フォル・ジュルネ音楽祭2007から、クニャーゼフが弾くドボルザークのチェロ協奏曲と、ベレゾフスキーが弾くチャイコフスキーのピアノ協奏曲と、今回の庄司の弾くチャイコフスキーのバイオリン協奏曲という協奏曲としては3つのプログラムを取り上げましたが、どれも非常に困難なものとなりました。

クニャーゼフはオーケストラに抗議をし、ベレゾフスキーはオーケストラを半ば無視し、庄司はオーケストラに多大な寛容性を示さなければならなかったというように思えます。

でも、リス率いるウラル・フィルハーモニーが悪いと非難するつもりは全くありません。

むしろ、このような環境を作ってしまったラ・フォル・ジュルネ音楽祭の企画執行部のやり方に問題があったのではないかと思います。

せっかく素晴らしいソリストを迎たのに、十分にバックオーケストラとの打ち合わせの時間的余裕があったのでしょうか。

広く多くの人々にクラシック音楽に親しんでもらうという趣旨で、盛りだくさんの企画をし、素晴らしい演奏家たちを迎えても、彼らが本当に良い演奏を聴かせられるような環境が用意されていなければ演奏者にとっても、また聴衆にとっても大変不幸なことになります。

ラ・フォル・ジュルネ音楽祭をこれからも続けていくとするならば、主催者側にぜひ考えていただきたい大きな課題だと思います。

Bプログラム:

 Bプログラムは、以前にも紹介しましたが、小泉和裕が率いる東京都交響楽団のスメタナです。

前回は、わが祖国から「ブラニーク」を演奏していましたが、今回は「モルダウ」です。

Aプログラムで、ラ・フォル・ジュルネ音楽祭のあり方に少なからず疑問を持ってしまったせいか、都響の演奏についても、東京で開催される素人向けの音楽祭なのだから東京都の交響楽団が普段の練習風景を披露して見せます、というふうに何となく思えてきました。

先日の「ブラニーク」のときに感じた都響の無機質な底抜けに明るい音色は、都響がどこぞの学芸会に出張演奏に出かけて行った時の音なのかなと思ってしまいました。

それで、「モルダウ」も何となく聴き流している間に終わってしまいました。

ごめんなさい。

「クラシック倶楽部」では、この4日ほど、ラ・フォル・ジュルネ音楽祭のプログラムの抜粋を放映してくれました。

いろいろな音楽祭を通じて、クラシック音楽愛好者の底辺を広げていこうという試みがなされ、そのために多くのスタッフの方がご苦労されていることに対しては頭の下がる思いです。

そして、これらの音楽祭に参加する演奏家たちが、プログラムのスケジュールの関係で非常に厳しい演奏環境におかれているのだということもよく分かりました。

今後、音楽祭に参加する演奏家の皆さんが快適な演奏環境で聴衆に楽しい演奏を聴かせられるようになることを願ってやみません。

以上、「クラシック倶楽部を楽しむ」でした。
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2008年03月04日

組曲「くるみ割り人形」&ボリス・ベレゾフスキー

「クラシック倶楽部を楽しむ」 本日のプログラム

[BShi 2月27日放送分]

Aプログラム
(演奏曲目)
  チャイコフスキー 組曲「くるみ割り人形」作品71aから
         管弦楽 ビルバオ交響楽団
         指揮  飯森泰次郎

Bプログラム
(演奏曲目)
  チャイコフスキー ピアノ協奏曲 第1番 変ロ短調 作品23
         ピアノ ボリス・ベレゾフスキー
         管弦楽 ウラル・フィルハーモニー管弦楽団
         指揮  ドミートリ・リス

(会場)
  東京国際フォーラム ホールA(ラ・フォル・ジュルネ音楽祭2007)

[所感]

今回の「クラシック倶楽部を楽しむ」は、ラ・フォル・ジュルネ(熱狂の日)音楽祭2007で企画されたプログラムから第3弾です。

演奏曲目は、全てチャイコフスキー作曲のポピュラーな曲で、みんなにクラシック音楽を楽しんでもらおうという、この音楽祭の趣旨にはぴったりの出し物ではないでしょうか。

A プログラム:

 Aプログラムは、飯森泰次郎の指揮によるビルバオ交響楽団が、チャイコフスキーの「くるみ割り人形」から小品を抜粋して演奏しました。

くるみ割り人形のバレーは、最後に見たのがもう2年ぐらい前になります。

熊川哲也とKバレーカンパニーの公演でした。

とてもドラマティックで、緊張感もあり、幕が下りてから観客が全員スタンディング・オベイションをしていたことを憶えています。

さて、組曲の方ですが、曲目はクララが王子様に連れられてお菓子の国の魔法の城で見た、いろいろな国の踊りによって構成されています。

何故、くるみ割り人形と、はつかねずみの戦いの場面の音楽が組み入れられていないのかな、などと思っていたのですが、チャイコフスキーが別の演奏会で手持ちの曲がなく、取り敢えず作曲途中のくるみ割り人形を組曲として仕上げたということらしいのです。

ですから、まだ戦いの場面などの曲は完成していなかったのかもしれませんね。

納得したところで、あとは楽しく舞踏会を見ているように聴いていればよいのですが、指揮者がワグナーやリヒャルト・シュトラウスに造詣の深い飯森に対して、スペインを本拠地にする底抜けに明るいビルバオ交響楽団という組み合わせに興味の焦点が移ってしまいました。

演奏が始まりました。

曲の流れは、小さい序曲〜こんぺい糖の踊り〜トレパーク〜アラビアの踊り〜中国の踊り〜あし笛の踊り〜花のワルツ、と演奏されていきます。

小さい序曲は、飯森が歌劇の幕が上がる前のように丁寧に指揮をしていました。

ビルバオ交響楽団も飯森の思いに応えるように静寂のメロディを美しくしかもやや暗く演奏していました。

やがて、舞踏曲に演奏が移りました。

飯森は、目の前でバレーダンサーが踊っているかのように遅めのテンポで指揮を執ります。

でも、この日はバレーのための演奏ではありませんでした。

結局、飯森のバレーダンサーが踊れるようなテンポで棒を振っていたことが、最後まで組曲「くるみ割り人形」を盛り上がらせることができなかったように感じました。

飯森は最後の花のワルツでは、テンポを上げようと棒を振るのですが、ビルバオ交響楽団は飯森のテンポに乗ることなく、全般に重い演奏のままで、指揮者がオケに引っ張られたように思えました。

ビルバオ交響楽団も中音部で響くべき主旋律が金管楽器のバランスが悪いせいか、もやもやとしていて明瞭感がありませんでした。

もう少し、軽快な花のワルツを聴いて、最後にはすっきりしたかったという感じが残りました。

Bプログラム:

 Bプログラムは、ボリス・ベレゾフスキーの弾くチャイコフスキーのピアノ・コンチェルトです。

弱冠20歳にしてチャイコフスキー国際音楽コンクールを制覇したベレゾフスキーですが、その後17年の時の経過と共に、どのようなピアノを聞かせてくれるのか胸がわくわくしてしまいます。

ドミートリ・リス率いるウラル・フィルハーモニー管弦楽団は、先日クニャーゼフのチェロ協奏曲(ドボルザーク)で、非常に冷静かつ豊かな音楽表現をしていたオーケストラです。

さて、ホルンの音響とともに第1楽章が始まりました。

ピアノが歌い始めます。

「おや、ベレゾフスキーがおかしいぞ。」とすぐに感じられるような演奏です。

大事な音は外すし、ベレゾフスキーは付点音符を全く大事にしていないのです。

ベレゾフスキーは、かなり勝手気ままに弾いていきます。

指揮者のリスは、やはりすぐにベレゾフスキーの異変に気付きました。

この日のベレゾフスキーのピアノにオーケストラがぴったり合わせるなど至難の業です。

リスは割り切りました。「オーケストラ・パート部分のところだけでも、しっかりやらせてもらいますわ!」とばかり指揮棒を振ります。

第2楽章に入っても、全く改善されませんでした。

ベレゾフスキーのピアノの旋律が少しも流れていかないのです。

ですから、ピアノとオーケストラはバラバラに空中分解です。

第三楽章になってからは、もはや最悪の状態です。

ベレゾフスキーは「今日はもう早く弾き終えて帰りたいよ。」と言わんばかりにいい加減に弾きます。

リスはリスで、「そうですか、じゃあオーケストラも勝手にやらせてもらいますよ。」という具合にしか聞こえませんでした。

結局、最後までベレゾフスキーは本気モードになれず、雑な演奏で終わってしまい、期待は大きく裏切られました。

これがベレゾフスキーにとっての17年という歳月の流れだとは思いたくありません。

きっと、ベレゾフスキーは体調が悪く、下痢でもしていて、早く演奏を終わらせたかったのではないでしょうか。

演奏後に、聴衆から「ブラボー!」という声がかかっていましたが、こういうときには足を踏み鳴らしてブーイングの方がふさわしいと思います。

ラ・フォル・ジュルネ音楽祭が、普段クラシック音楽に縁のない人たちにも広く聴いてもらおう、という趣旨で開催されているとしても、こんないい加減な演奏会を企画することは許せません。

本日の「クラシック倶楽部」は、こんな期待はずれなことも、たまにはあるということを教えてくれました。

以上、「クラシック倶楽部を楽しむ」でした。
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スメタナ「ブラニーク」&フォーレ「レクイエム」

「クラシック倶楽部を楽しむ」 本日のプログラム

[BShi 2月26日放送分]

Aプログラム
(演奏曲目)
  スメタナ わが祖国から 交響詩「ブラニーク」
    演奏 東京都交響楽団
    指揮 小泉和裕

Bプログラム
(演奏曲目)
  フォーレ レクイエム 作品48
    ソプラノ アナ・キンタンシュ
    バリトン ピーター・ハーヴィー
    管弦楽  シンフォニア・ヴァルソヴィア
    合唱   ローザンヌ合唱団
    指揮   ミシェル・コルボ

(会場)
  東京国際フォーラム Aホール(ラ・フォル・ジュルネ音楽祭2007)

[所感]

今回の「クラシック倶楽部を楽しむ」は、ラ・フォル・ジュルネ(熱狂の日)音楽祭2007で企画されたプログラムから第2弾です。

A プログラム:

 本日のAプログラムは、小泉和裕指揮の東京都交響楽団がスメタナのわが祖国から「ブラニーク」を演奏します。

NHKに企画スタッフが、わが祖国の6曲の中から「モルダウ」とは違って普段は単独ではなかなか取り上げられない「ブラニーク」をどうして選んだのかは分かりませんが、テロップに「ブラニークはボヘミア地方の山の名」とだけ出して、後は聴き手のご想像にお任せしますと言っているようで粋な計らいだなあと思いました。

案外、時間枠の都合だけだったのかもしれませんが・・・。

さて、演奏が始まります。

祖国の兵士が隊列を組みながら人々の前を通り過ぎてブラニーク山の方へ歩いてゆきます。

兵士たちの通り過ぎた後の風景は、のどかで人々がいつもと変わらぬ平和な生活をしています。

突然、空の上のほうに得体の知れないものが現れます。

村の人々は、あれは一体何だろうと口々に言いながら騒いでいます。

得体の知れないものは、人々の頭上に降り注いで、邪悪の魂を流布させて村中を苦しめてしまいます。

人々は邪悪の魂と戦いますが劣勢で、ますます苦しい立場に追い込まれていきます。

そこへ、ブラニーク山の方から進軍のラッパと共に祖国の兵士たちがやってきます。

勇敢な兵士たちは、邪悪の魂と勇猛果敢に戦って、遂には村中の人々を苦悩から解放します。

村中の人々は喚起に沸き、勇敢に戦った兵士たちを称えます。

と、都響はこんな風に曲づくりをしてくれたように思います。

指揮者の小泉は、驚くほど明解に都響を導いていたと思いますが、都響の音色はあまりに明る過ぎはしないかと感じました。

別に、オーケストラが明るいハーモニーを作り出すこと自体は悪くないのですが、いささか粗野に聞こえたような気がします。

このオーケストラは、この演奏を聴く限りでは、プログラムにストラヴィンスキーあたりの曲を選んだ方が良かったのではないでしょうか。

Bプログラム:

 本日のBプログラムは、宗教曲を指揮させればぬくもりのある温かい指揮で定評のあるミシェル・コルボによるフォーレのレクイエムです。

曲の流れは、1.入祭唱とキリエ(合唱)〜2.奉献唱(バリトン、合唱)〜3.聖なるかな(合唱)〜4.ああイエズスよ(ソプラノ)〜5.神の子羊(合唱)〜6.われを許したまえ(バリトン、合唱)〜7.楽園にて(ソプラノ、合唱)、のように流れていきます。

先日、90歳半ばを過ぎてもまだ現役の医師として活躍していらっしゃる日野原重明先生が、「レクイエムの中ではフォーレのものが一番好きです。」と話しておられましたが、先生は、死期を自覚して静かに迎える、という臨床療法を提唱されているだけあって、先生のお好きなフォーレは本当に清楚で美しく、恐れることなく楽園招かれていくのにふさわしい曲だと感じました。

特に、ソプラノのキンタンシュがビブラートの少ない澄んだ声で歌う、4.ああイエズスよ、は聴く者の胸の奥に沁み込むものがありました。

また、バリトンのハーヴィーは、どちらかというとテナーのような柔らかい声で、6.われを許したまえ、を歌い始めますが、その声は感情の高まりとともに深淵の底にまで響きわたってきました。

ローザンヌ合唱団は合唱4部の女性パートにボーイソプラノが2人入っていたように思いましたが、とても奇麗なハーモニーと時には透きとおるユニゾンを作り出していました。

管弦楽のシンフォニア・ヴァルソヴィアも大げさにならず、抑制された調和を持ってレクイエム全体を支えていたのには感心しました。

やはり、指揮者コルボの曲作りの妙技なのでしょう。

このように、フォーレのレクイエムを聴いていると、当時のカトリック教会の戒律とか宗教的価値観に対して、フォーレ自身が少なからず疑問を抱いていて、「主による救いはもっと寛容な慈悲によるものではないのか?」と自問自答しながら作曲したものではないかなと感じてしまいます。

本日の「クラシック倶楽部」のプログラムの組み合わせは、ラ・フォル・ジュルネ音楽祭に立ち寄って、いろいろな音楽を聴いて楽しんでください、というところでしょうか。

以上、「クラシック倶楽部を楽しむ」でした。
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2008年03月03日

アレクサンドル・クニャーゼフのドボルザーク

「クラシック倶楽部を楽しむ」 本日のプログラム

[BShi 2月25日放送分]

アレクサンドル・クニャーゼフのドボルザーク

(演奏)
  チェロ アレクサンドル・クニャーゼフ
  管弦楽 ウラル・フィルハーモニー管弦楽団
  指揮  ドミートリ・リス

(曲目)
  ドボルザーク チェロ協奏曲 ロ短調 作品104

(会場)
  東京国際フォーラム ホールA(ラ・フォル・ジュルネ音楽祭2007)

[所感]

今回の「クラシック倶楽部を楽しむ」は、アレクサンドル・クニャーゼフがドミートリ・リス指揮のウラル・フィルハーモニー管弦楽団と組んで、ドボルザークのチェロ協奏曲を演奏します。

この演奏会は、東京で開催されたラ・フォル・ジュルネ(熱狂の日)音楽祭2007のプログラムの中の一つとして企画されたものということです。

音楽祭の芸術監督であるルネ・マルタンがインタビューの中で、クラシック音楽というと集まる人がどうしても専門色が強くなってしまうので、そのような垣根を取り払って多くの一般の人にクラシック音楽を楽しんでもらえるように、入場料やプログラムにも反映させているというような趣旨で話をしていました。

日本では2005年から毎年開催されるようになったそうですが、確かにクラシック音楽に誰でもが気軽に接する機会が増えるということは大切だと思います。

東京だけではなく地方でも開催されている、いろいろな音楽祭がありますが、このような企画を通じて私たちに残された財産とも言えるクラシック音楽が、多くの人に共有されていくならば素晴らしいことだと思います。

ところで、ドボルザークがチェロ協奏曲を作曲した時期は、彼がニューヨークのナショナル音楽院に院長として招かれていた1895年ごろと言われています。

このころのニューヨークがどのような状況だったのかよく分かりませんが、アメリカではすでに南北戦争が終わって30年ほど経っていて、大量の移民を受け入れながらすごい勢いで経済発展をしていた時期でした。

ニューヨーク市はブルックリン地区を含む周辺5地区を合併してアメリカ第一の都市になろうとしていました(1898年)。

カーネギーホールで有名なアンドリュー・カーネギーもこのころ鉄鋼王として活躍していましたし、おそらく音楽活動に対するパトロンのような人物もかなりいて、ドボルザークの作曲活動にとっても良い環境が得られていたのではないかと思います。

ドボルザークがニューヨークに3年間ほどいる間に、世界中でこれほどポピュラーになった「新世界」や「チェロ協奏曲」などの代表的作品を作曲できたということは、彼にとってアメリカはよほど刺激的だったのではないかと考えます。

現在も芸術家やアーチストたちがニューヨーク滞在を体験して、その後の彼らの製作活動に重要な影響を受けているという例がたくさんあることを考えますと、ドボルザークはハシリだったといえるかもしれません。

ここで、ドボルザークのチェロ協奏曲について解説などをするのは釈迦に説法になってしまいますが、ドボルザークがニューヨーク滞在中に、アメリカ建国の歴史的事件についていろいろ見聞したことが第1楽章の創作発想に少なからず影響を与えているのではないかと思います。

ですから、第1楽章には開拓時代の騎兵隊の行進とか、入植した人々の開拓パワーなどをドボルザークが感じたまま音楽にして表現し、自分も今そのアメリカにいるという仲間意識を持っているのではないかと思います。

第2楽章についてですが、よく「新世界」の第2楽章と対比され、ドボルザークの故国に対する郷愁という捉え方をされています。

確かに旋律は郷愁的であるということは否めませんが、ドボルザークはアメリカが初期の厳しい開拓時代を乗り越えて、新しい国の建設へと進んできた歴史的時間の経過を静かに辿っている様子を旋律にしているのではないかと考えます。

ドボルザークは第3楽章では、自分が滞在しているニューヨークの現在の姿、すなわち、急激に経済発展しながらアメリカという国のけん引役になっていく勇壮な姿を表したかったのではないかと思います。

時折、民族舞踏的旋律が出てきますので、ドボルザークの故国に対する感傷的な発想と思われがちですが、むしろ、アメリカが多民族の集合体から成り立つ自由な国家だということを表現していると考えたほうが自然のような気がします。

このようにチェロ協奏曲を聴いていると、ドボルザークは3年間のニューヨーク生活の体験から、まさに発展途上の絶頂期にあるアメリカに対する応援歌を作曲したのではないかと思えてきます。

さて、クニャーゼフのチェロですが、1楽章はアメリカのパイオニア魂というものをクニャーゼフ自身も強く感じながら弾き切ったように思え、彼のチェロには説得力があったと思います。

ところが、クニャーゼフは、第2楽章と第3楽章になると指揮者のリスの方を向いて、自らの表情を作り「ここはもっと豊かな音が欲しい」と何度も訴えかけているようでした。

クニャーゼフのチェロは確かに時には繊細で、また時には豊かで、自由自在に歌っていたと思います。

しかし、クニャーゼフの演奏姿勢は私にはむしろ挑発的に感じ取れました。

ソリストとオーケストラは、本来はリハーサルでかなりの意思の疎通を図っていてしかるべきだと思います。

指揮者のリスはウラル・フィルハーモニーの音楽監督として10年以上も音楽づくりを共にしてきているのですから、クニャーゼフの要求はリハーサルで十分理解していたはずです。

本番になって、クニャーゼフがあれほどまでに表情をあらわにして指揮者を挑発するような様子を見せることにやや疑念が残りました。

しかし、クニャーゼフについては、アメリカの演奏旅行中に交通事故にあい、再起を危ぶまれるほどの困難な時期があったが奇跡的に復活したとテロップで紹介されていました。

ですから、苦労人クニャーゼフが「おれの生きざまを見てくれ!」と言っていたと思うより仕方がないでしょう。

今回、クニャーゼフのチェロを聴いてそのドラマチックな響きに圧倒されてしまったのは、おそらく彼自身が非常にドラマチックな人生体験をしてきたところによるものなのかなと感じました。

また、リスの率いるウラル・フィルハーモニーは、クニャーゼフの要求によく応えて(挑発に乗ることなく)メリハリのある気持ちの良い演奏をしていたと思います。

「クラシック倶楽部」では演奏者の表情まで克明に見えてしまうので、またそれが楽しい一面なのかもしれません。

以上、「クラシック倶楽部を楽しむ」でした。
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2008年02月29日

ジャン・ギアン・ケラス チェロ・リサイタル

「クラシック倶楽部を楽しむ」 本日のプログラム

[BShi 2月22日放送分]

ジャン・ギアン・ケラス チェロ・リサイタル

(演奏)
  チェロ ジャン・ギアン・ケラス
  ピアノ 野平 一郎

(曲目)
  ベートーヴェン チェロ・ソナタ 第3番 イ長調 作品69
  ベートーヴェン チェロ・ソナタ 第5番 ニ長調 作品102第2
  ヤナーチェク おとぎ話から 第3曲

(会場)
  三鷹市芸術文化センター 風のホール

[所感]

今回の「クラシック倶楽部を楽しむ」は、ジャン・ギアン・ケラスのチェロ・リサイタルです。

プログラムを見て気がつきましたが、そういえばクラシック倶楽部にここのところ暫くベートーヴェンは取り上げられていませんでした。

昨日の本欄の記述のとおり、趙静の演奏した明るく軽快なバッハのチェロの音色がまだ耳に残っているのですが、趙よりも10年余、年長のケラスがベートーヴェンのチェロ・ソナタをどのように演奏してくれるか楽しみです。

NHKの番組企画スタッフのトラップにまた捕まえられそうです。

プログラムは、ベートーヴェンの最も充実した作曲活動期である中期の作品のチェロ・ソナタ第3番から、晩年に作曲されたチェロ・ソナタ第5番へと対比的に続くように組まれています。

ベートーヴェンのチェロ・ソナタ第3番は、弾き手に相当な馬力がなければ演奏し切れないような曲だと思いますので、30歳代後半の適齢期を迎えたケラスがどのような演奏をするのか見ものです。

ケラスと野平が舞台右手から登場します。

このホールは左手に出入り口がないようで、ピアノの野平はピアノを一周する形で席に着きます。

数秒間、ケラスが調弦をします。

第1楽章:いきなり、チェロの導入旋律につづいてピアノが第一テーマに入ります。

「そう、これがベートーヴェン!」と思わせてくれるケラスと野平の音楽の世界にすぐに誘い込まれてしまいます。

ケラスのチェロは低音部では深く響き、そして何といっても高音部の音色の美しさに特徴があると感じました。

ケラスが情熱的に激しく弓を使っても、このチェロの第一弦はその感情の高鳴りに応えて強く艶やかな音色で響き渡ります。

ベートーヴェンがこの時期に、爆発的に作曲に取り組んでいたという情景がはっきり表れていると思います。

ベートーヴェンが「ぼくは今とても忙しいんだ。邪魔をしないでくれたまえ。」と言っている様子が第1テーマとして何回も出てくるように聞こえました。

第2楽章:息を弾ませるような短調の旋律から始まります。

仕事、仕事に明け暮れた生活でしたが、このままでいいのか自問自答しています。

そして、激しい感情の高まりとともに、何か変化したいという切望が湧いてきます。

いわゆる黄金期のベートーヴェンの心の中には、もっと変化を求めたいというエネルギーが蓄積されていたのかもしれません。

第3楽章:前楽章で抱いた変化を求める気持ちに対して、その高揚を癒すような旋律から始まります。

「仕事は精いっぱいやったのだから少しのんびりしたら?」と言っているようです。

でも、周りではもっと作品を発表してほしいという人々の期待の声が聞こえます。

ベートーヴェンはそんな声に対して「ちょっと静かにしてよ!」と言いながらも、結局はもとの作曲活動に戻ってしまいます。

という勝手なストーリーになってしまいました。

続いてチェロ・ソナタの第5番が演奏されました。

ベートーヴェンが働き盛りだった時代の第3番との対比ができるような演奏でした。

ケラスはここでも数秒間の調弦をします。

第1楽章:ピアノの激しい旋律から導入されます。

ベートーヴェンはまだ忙しく働いていますが、第3番の1楽章と違い取捨選択権を自らが持って仕事をしているようです。

サラリーマンでいえば、第3番は平社員で仕事を押し付けられている時代であり、第5番は自分が決定権を持つ幹部社員の時代と言えるのかもしれません。

このような違いをケラスは明確に弾き分けていたと感じさせるところがすごいと思いました。

第2楽章:第3番では自問自答していて余裕のなさが目立ちますが、第5番は違います。

広く、大きな気持ちを持って物思いにふけっています。

例えるならば、国王が広く人民の幸せを思って考えているようです。

ケラスのチェロはこの深遠な旋律を、あくまでも静かに、包容力のある慈悲深い音色で表現していました。

第3楽章:音階的旋律とフーガ形式が現れます。

すべてを経験しつくした者の誰でもが考える昔の自分への回帰でしょう。

ベートーヴェンも自らが一生懸命に作曲活動をして晩年を迎えたときに、やはり古典への回帰に思いを馳せたのかもしれません。

「昔に戻ろう!」と言ったかどうかは知りませんが・・・。

ケラスは、ベートーヴェンのチェロ・ソナタの第3番と第5番を並べて演奏して聴かせ、この2曲の間にある時間経過とベートーヴェンの心の変化を見事に表現して見せたと思います。

また、このリサイタルでは、もう一つの重要な要素があったといえます。

それはピアノパートを担当した野平の存在です。

野平のピアノは、ケラスのチェロの伴奏などという域をはるかに超え、野平とケラスがベートーヴェンを共有し、解釈し、表現しているというように感じました。

最後に弾かれたヤナーチェクの「おとぎ話」ですが、私は全曲を聴いたことがありません。

第3曲ということでしたが、ピエロの姿をした小人が1人、2人、3人と次々に現れ目の前を通り過ぎていくような情景が浮かび上がりました。

ケラスは、こんな小品でも語り上手でした。

本日の「クラシック倶楽部を楽しむ」は、久々のベートーヴェンで、しかも中期と後期のチェロの曲目を並べて聴くことができ、本当に楽しい時空遊覧をしたようでした。
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2008年02月28日

趙静&大萩康司 デュオ・リサイタル

「クラシック倶楽部を楽しむ」 本日のプログラム

[BShi 2月21日放送分]

趙 静 & 大萩 康司 デュオ・リサイタル

  チェロ 趙 静
  ギター 大萩 康司

(演奏曲目)
  バッハ 無伴奏チェロ組曲 第4番 変ホ長調 BWV1010から
        プレリュード〜サラバンド〜ブ−レ〜ジーグ
         演奏 趙

  ヴィラ・ローボス 5つの前奏曲から
        第1〜2〜4〜5番
         演奏 大萩

  シューベルト アルペジョーネ・ソナタ イ短調 D821(西垣 正信 編)
         演奏 趙 大萩

(会場)

  紀尾井ホール

[所感]

今回の「クラシック倶楽部を楽しむ」は、チェロの趙とギターの大萩によるデュオ・コンサートです。

趙はスケールの大きな豊かな音楽性を持ったチェリストとして注目を浴びています。

また、大萩も深遠な音色の出せるギターリストとして期待されているところです。

その演奏に対する評価の高い、同じ年生まれの二人が、どのようなコラボレーションを演じて聴かせてくれるのかとても楽しみです。

まず、趙は舞台に現れるとすぐに無伴奏チェロ組曲第4番を弾き始めました。

超の弾くチェロが明るい音色を持った楽器なのに驚きました。

これは趙の奏法によるものかもしれませんが、そのことを加味してもイタリア・トーンの明るさを出していました。

バッハのチェロ組曲がこんなにもクリアに、どちらかというと愉快な気分で聴けるなんてなんと素晴らしいことでしょう。

それも、プレリュードを弾き始めた瞬間から、「バッハはこんなに楽しい曲を作っているんだ。」と思うくらい楽しい気分にさせてしまうのですから尋常ではありません。

そのあとに続く、サラバンドにしても、ブーレにしても、ジーグにしてもみんな舞踏曲ですから、最初の勢いで聴く者の心を弾ませてしまいます。

趙自身も時折右足首で拍子をとりながら、遅いテンポの部分でも決して重くならず、むしろ軽快に弾き進んでいきました。

今までバッハのチェロ組曲を何度も聴いてきましたが、これほどまでに明るく軽快な演奏には出会ったことはありませんでした。

演奏者の内面性が問われる場合の多いバッハの音楽ですが、趙の演奏もまた内面表現の一つになっていたのではないかと思いました。

指が細いことから、音程がやや不安定になるところが散見されましたが、音楽づくりの上ではあまり問題にはならないでしょう。

これからもっと音楽的経験を重ねていく趙のような若い演奏家が、いろいろな自分の物語を音楽に託して聴衆に伝えていこうという試みは、挑発的で実に清々しいことです。

10年後、20年後に趙の弾くバッハがどのように変わっていくのか本当に楽しみです。

2番目は、大萩のギターでローボスの五つの前奏曲から第1,2,4,5番が演奏されました。

大萩が前奏曲第1番を弾き始めると、懐かしい故郷に心馳せるようにすっと演奏の中に引き込まれてしまいました。

大萩のギター演奏は、主旋律が躍動感に富んでいて、その主旋律を支える他の弦の音がしっかりと音の糸を紡いで織物を織っているようでした。

だから、仕上がった織物の絵模様がはっきり表れるように音楽にもメリハリを感じるのです。

第2番の速いパッセージの部分に移っても、大萩の作り出すテーマは明確でした。

民族風の踊りの風景を聴く者に思い浮かべさせるように、やはり旋律の流れは鮮烈に進みました。

大萩の演奏を最も際立たせたのは、何といっても第4番ではなかったかと思います。

ゆっくりとした哀愁を帯びた旋律が心の底まで響いてくるような感動体験をさせてくれました。

第5番は、大萩のギターの世界にもう少し居たいと思う気持ちを突然振り切るように終わってしまったような気がします。

それほどまでに大きな余韻を残した素晴らしい演奏だったと感じました。

大萩のギター演奏は、これから単にクラシックギター奏者として円熟していくのではなく、もっとギターに新しい息吹を吹き込んでいってくれるような期待を抱かせてくれました。

さて、最後は趙と大萩で繰り広げるコラボレーションです。

選ばれた曲が、シューベルトのアルペジョーネ・ソナタです。

どちらかというとシューベルトが健康的にも良くない状態の時に、アルペジョーネという楽器のために作曲して、その後何十年も放っておかれ、シューベルトの死後にアルペジョーネがもう楽器として世の中に存在しなくなってから日の目を見た曲だということです。

ここでも、若くて、個性のある二人の演奏家が驚くべき音楽表現を作り出していたと思います。

まず、大萩のギターの導入により趙のチェロが歌い始めます。

チェロが歌うと書きましたが、バッハで明るく軽快な表現力を見せた趙が、深く慰めるような旋律をまさに歌を歌うように演奏し始めたのです。

そして、大萩のギターが弦の一本一本の音を束ねながらチェロのメロディーを美しい模様にして布地に織り込んでいきます。

時々、チェロとギターの間でテーマのキャッチボールが行われますが、ごく自然で決してぶつかり合うようなことはありませんでした。

この曲を媒体として、若き2人の演奏家が本当に楽しそうに歌を歌っているように見えました。

そして、演奏が進むにつれてだんだん二人の気持ちも高揚し、楽しさも増し、最後には感情の抑制の限界くらいに朗らかで愉快になって歌を歌い終わったように感じました。

演奏が終わってから、趙と大萩が顔を見合せてにっこりとほほ笑み合っていた情景がすべてを物語っているような気がしました。

今回のデュオ・リサイタルは、「クラシック倶楽部を楽しむ」にふさわしい心から楽しめる企画でした。
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2008年02月27日

4人のバイオリニストの競演

「クラシック倶楽部を楽しむ」 本日のプログラム

[BShi 2月20日放送分]

4人のバイオリニストの競演

(演奏者)
  バイオリン 加藤 知子
         堀米 ゆず子
         戸田 弥生
         川田 知子
  ピアノ   寺嶋 隆也(イザイとモーツアルトの曲を除く)

(演奏曲目)
  ガーシュイン 歌劇「ポギーとベス」から(ハイフェッツ編)
          サマータイム
          女は気まぐれ
          そんなことはどうでもいいさ
        演奏:川田

  ラヴェル チガーヌ
        演奏:戸田

  イザイ 無伴奏バイオリン・ソナタ 第5番 ト長調 作品27第5
        演奏:堀米

  サラサーテ カルメン幻想曲 作品25
        演奏:加藤

  モーツアルト 歌劇「魔笛」から(レ・カトル・ヴィオロン編)
              わたしは鳥刺し
              恋を知るほどの殿方には
              愛の喜びは露と消え
              復しゅうの心は地獄のように胸に燃え
              おふた方には二度目のおこし
              パパパの二重唱
            演奏 : 堀米 川田 加藤 戸田 

(会場)
  フィリアホール

[所感]

今回の「クラシック倶楽部を楽しむ」はプログラムを見てください、びっくりです。

今や日本を代表する女性バイオリニストが4人も集まり、大騒ぎ(?)だったのではないでしょうか。

しかも、「4人のバイオリニストの競演」と言うタイトル付です。

最初に、ひとり一人が競演にふさわしい難曲を選び演奏して聴かせます。

そして最後は、4人が4台のバイオリンで合同演奏という趣向になっています。

いったいどのような展開になるのかと人ごとながら心配していました。

第1奏者として、川田が登場、ポギーとベスを弾き始めました。

その途端、ほっと肩から重いものがなくなったような気分になりました。

有名なサマータイムの旋律が流れだし「やあ、皆さんようこそ。今日は肩ひじ張らず楽しんでくださいね。」と言われたような気がしたからです。

川田のバイオリンは、澄んだ音色で軽快に鳴り響いていました。

この人は、現代ものの演奏をしたらきっと素晴らしいのだろうと感じました。

第1曲目にサマータイムが演奏されて、この演奏会(競演)はもう成功したと思いました。

もし、最初にチガーヌが出てこようものなら、その後は血で血を洗う争いになったかもしれません。

きっと、川田は難しいことをやっても、聴いている者を和ませてくれるツボを知っているのでしょう。

第2番目には、この日のメンバーでは一番若手の戸田がチガーヌを弾きました。

川田の軽快な洒落たバイオリンの音は、戸田の深みのある澄んだ音に引き継がれました。

曲目のせいもありますが、戸田のバイオリンのG線は本当に美しい音色を奏でます。

若さで果敢に弾き続けますが、ピアノが入ってくるあたりでアンサンブルのちょっとした乱れもあったようです。

最初に気を入れすぎたせいか最後はさすがに少々疲れたかな、という感じが残りました。

でも、さすがに若さで見事に弾き切ったという演奏でした。

第3番目は堀米のイザイでした。

イザイの無伴奏は私にとっては非常に分かりにくい曲なのですが、堀米は「そんなことないわよ、納得しなさい。」とばかり演奏を続けました。

でも私には、堀米がバイオリンと格闘をしているように思えました。

堀米のバイオリンは、なかなか明瞭な音の粒を作り出さず、一筋縄ではいかないような楽器のようです。

でも、今日はイザイでさえも、堀米の演奏を聴きながら楽しむことができるのですからそれでいいのです。

第4番目は加藤のカルメン幻想曲です。

このような超絶技巧を選曲するとはさすがに競演です。

加藤のバイオリンは、いろいろな音色の出る楽しい楽器だと思います。

最後のほうでテンポを上げるところでは、加藤の演奏姿勢のようなものが出ており、多少テンポを遅くしても正確に弾いていたように思いました。

これも、ピアノとのずれが気になるところもありましたが、全体的には好演奏といっても良いと思います。

最後は、4人揃ってモーツアルトの「魔笛」から6曲のアリアを選んで4台のバイオリンで、まるで歌を歌っているように楽しんでいました。

演奏している人たちが楽しんでいるのですから、聴いている人たちにも楽しさが伝わってくるのは当然です。

とにかく、最近のクラシック倶楽部の番組の中では、アットホームで子供たちにも十分楽しめる演奏会だったと思います。

なお、蛇足になりますが、4人の女性バイオリニストはデザインの違いはありますが皆ブルー系統の衣装で登場しました。

あくまでも競演は演奏内容のことなので、衣裳の色で勝負するのはやめましょう、という申し合わせでもあったのでしょうか。
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2008年02月26日

ガブリエル・リプキン チェロ・リサイタル

「クラシック倶楽部を楽しむ」 本日のプログラム

[BShi 2月19日放送分]

ガブリエル・リプキン チェロ・リサイタル

  ピアノ ユリアン・リーム

(演奏曲目)

  ドビュッシー チェロ・ソナタ ニ短調
  フランク バイオリン・ソナタ イ長調(リプキン編)
  ポッパー 妖精の踊り 作品39

(会場)

  浜離宮朝日ホール

[所感]

今回の「クラシック倶楽部を楽しむ」はガブリエル・リプキンのチェロ・リサイタルです。

精悍な面立ちと長い指の掌、パールマンと同じイスラエル出身で弦楽器奏者となれば初対面でも好感を持ったリプキンです。

最初はドビュッシーのチェロソナタでした。

紗がかったドビュッシーの音楽をどんな風に聴かせてくれるのか一瞬緊張しました。

第1曲のプレリュードは、いきなりピアノのゆっくりとした不安げな先導で始まります。チェロが語りかけます。

「これからちょっと不思議なお話をしますが、あわてないで落ち着いて聞いてください。」

しかし、ちょっと待ってください。

リプキンの弾くチェロのガサガサしたしわがれ声のような音色はどうしたのでしょう。

忙しすぎて、チェロが疲れているのでしょうか。

それとも十分にウォーミングアップをしないで弾き始めたのでしょうか。

とにかく、最初の弾き出しで私の緊張の糸が切れました。

ドッビュシーの音楽による風景描写も台無しです。

第2曲のセレナードはチェロのピッチカートで始まりますが、まだピッチカートに耳障りな音を感じます。

いきなり部屋の壁に穴があいて、若者が異次元世界へ入り込んでいくような光景を思い浮かべます。

若者はチューブ状の透明の筒の中をしっかりした歩調で歩いているのですが、チューブ状の筒の外側には海坊主のような不思議な人間が雲の上でも歩くようにふわふわと若者と並んで歩いています。

若者の意識ははっきりしているのに、チューブの外側の景色はうつろに見えるのです。

切れ目がないまま第3曲の終曲に入ります。

とうとう若者はチューブ状の透明の筒から抜け出て異次元の世界に入り込んだようです。

海坊主のような人間たちは若者に興味を持ったらしく近づいてこようとします。

彼らにはどうやら悪意は感じられません。

若者は恐怖心から、物陰に隠れながら彼らから逃げようとします。

しかし、それも無駄なことです。

若者は異次元世界の人間たちに取り囲まれてしまいます。

「どうしよう。」と思ったとたん若者は3次元の世界に戻されます。

若者はこれが夢だったのか、本当にあったことなのか分からないまま佇んでいます。

結局、リプキンのチェロの音色はガサガサのままで、ドッビュシーでは回復しませんでした。

でも、ピアノを弾いていたユリアン・リームという人、溌剌としてキレのいい音色を聴かせていて、チェロ・ソナタ全体をドッビュッシーらしくまとめていたと思います。

2番目はフランクのバイオリン・ソナタでした。

特に若いチェリストの中には、バイオリンの曲をチェロで弾きたいという気持ちがあるのでしょうか。

リプキンの大きくて指の長い掌と驚異的テクニックをもってすれば、チェロをバイオリンのように操ることは可能なのかもしれません。

また、フランクのソナタになってからは、チェロでも1弦、2弦を使うことが多いせいか、ドビュッシーで中低音域がガサガサいっていた音色が気にならなくなりました。

しかしながら、チェロとピアノの調和という部分ではちょっと違和感を持ちました。

おそらくピアノは、バイオリン・ソナタの時に使う譜面で弾いていたのではないかと思います。

リームのピアノは非常にダイナミックレンジが広く、相手がチェロであることを意識して弾いていたような気がします。

それでも、バイオリンとオクターブ違うチェロの弦の響きとは共鳴が反転してしまうように感じられ心地よいものではありませんでした。

チェロの演奏そのものは、全く文句のつけようのないほど完璧に弾いていたと思います。

リプキンの並みでないチェロの演奏技法とその完成度の高さには感心しました。

フランクの第1楽章冒頭に現れる、精神の不安定になるような旋律が曲想全体を支配しつつ、やがて第4楽章で精神的安定を取り戻していく、というようなストーリーも十分表現していたと思います。

最後のポッパーの「妖精の踊り」は超絶技巧をさりげなく弾きこなすリプキンのお家芸というところでしょうか。

今回の「クラシック倶楽部を楽しむ」では、リプキンのチェロに対してリームのピアノとの掛け合いが非常に面白かったというのも収穫でした。

最後に、リプキンのチェロの音色について文中で触れたことに関して付け加えます。

リプキンのチェロの音色はフランクの中盤あたりですっかり復活していました。

おそらく、ウォーミングアップ不足だったのではないかと思われます。

最近、国内で開催される演奏会では、演奏会終了後に演奏者自らがロビーに出てきてCDや本にサインをするという光景が見られます。

日本びいきの演奏者が多いということもあって、演奏者のサービス精神によるものかもしれませんが、このような企画をする主催者にも問題があると考えます。

演奏者は、精一杯演奏をすればとてもサイン会に応じる余力などないはずです。

むしろ、ピアノやバイオリンなどを弾くアーティストは演奏後に掌や腕のクーリングダウンをすべきで、サインのためにさらに手を酷使するなどとんでもないことです。

特に、若くて人気のあるアーティストの場合は主催者もサイン会のサービスを企画したくなるのだと思います。

そこには聴き手側からのニーズが存在するという事実があります。

聴き手は素晴らしい音楽をプレゼントされるのですから、それ以上アーティストの負担となるようなサイン会などは求めるべきではないと私は考えます。

アーティストには、そういう無駄な時間を割いて、ウォーミングアップやクーリングダウンをしていただく方が良いと思います。

皆さんはいかがお考えでしょうか。
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2008年02月25日

イヨラン・セルシェル

[クラシック倶楽部を楽しむ] 本日のプログラム

[BShi 2月18日放送分]

イヨラン・セルシェル ギター・リサイタル

  東京文化会館小ホール

(演奏曲目)
  バッハ 組曲第1番 ハ長調 BWV1007
      組曲第2番 ホ短調 BWV1008
      シャコンヌ BWV1004
  スウェーデン民謡 「さよならわたしの美しい花」
  レノン&マッカートニー 「Here , there and everywhere」

[所感]

今回の「クラシック倶楽部を楽しむ」はイヨラン・セルシェルのギター・リサイタルです。

この日のセルシェルは全曲目を11弦ギターによって演奏しました。

11弦ギターについてはギターをよく弾かれている方はご存知なのかもしれませんが、私はこれまでに演奏を聴いたことがありませんでした。

6弦の普通のギターより重そうで、速いパッセージなどは弾くのが大変なのではないかと思いました。

11弦ギターの発祥の地はスウェーデンということですので、スウェーデン出身のセルシェルが弾くということにも意味深いものを感じました。

11弦ギターの音色は、普通のギターに比べてフォルテの音はやや苦手のようですが、弦が多いだけに深く共鳴した温かい音が出るように思いました。

また、この日はバッハをメインプログラムとしていましたので、セルシェルの11弦ギターの音色を聴きながら、宮廷で演奏されるリュートを想像してみました。

まず、バッハの組曲第1番と第2番ですが、無伴奏チェロ組曲を原曲とするギターバージョンというとらえ方はどうも適切とは言えないのではないかと感じました。

チェロは弦を弓でこする楽器ですから弦を爪ではじくギターとは本質的に違います。

チェンバロのための曲をギターで弾くという場合は、やや共通性もあり、あるいはギターバージョンと言えるのかもしれません。

ということで、2つの組曲をチェロのための曲ということを考えないようにして聴くことにしました。

組曲の第1番も第2番も構成は、プレリュード〜アルマンド〜クラント〜サラバンド〜メヌエット〜ジーグ、という流れになっていましたが、セルシェルの11弦ギターはリズムの刻み方が明瞭で、古典の舞踏曲の羅列にならず、とても変化がある演奏だったと思います。

11弦ギターというのは音に厚みがあり本当にいろいろな音色が出せるものなのだと感心してしまいました。

しかしながら、セイシェルは何かを語ろうとはしていなかったように思います。

むしろ練習曲を弾くように正確に弾いていたように感じました。

チェロの原曲を忘れようとしてはいたのですが、やはりチェロの優しく語りかけるような音色が欠けているからだろうと考えます。

それともう一つは、移調の関係もあったのではないかと思います。

6弦ギターで弾く時には、第1番は原曲ト長調を属調のニ長調で、また第2番は原曲ニ短調を属調のイ短調で弾いているようですので、両方とも原曲を属調へ移調することによりやや華やかさが増す演奏となると思います。

それが、セルシェルは11弦ギターということもあって、第1番を原曲の下属調であるハ長調で、また第2番を原曲より1度だけ上げたホ短調で弾いていました。

私にはよく分かりませんが、セルシェルは11弦ギターの機能を重視して移調効果を抑えていたということかもしれません。

これをもって、セルシェルの演奏についてどうのこうのと言う必要はないのです。

セルシェルがバッハのチェロ組曲を11弦ギターの練習曲として取り入れ、見事に演奏して見せたということ自体が素晴らしいと思うからです。

次に、セルシェルはバッハのバイオリン曲であるシャコンヌを11弦ギターで弾いて見せました。

シャコンヌは前のチェロ組曲と比べると弓が複数弦をこする奏法の多い曲です。

これも爪ではじく奏法とは異質なものと直感していましたが、やはりバイオリンで弾くほどの説得力は得られなかったと思います。

セルシェルはあくまでも原曲に忠実でありたいと考えて11弦ギターの上に音符を乗せていったのではないかと思います。

ですから、シャコンヌもギターの曲としては完璧に成り立っていたのではないでしょうか。

当時チェンバロでバッハのこれらの曲が弾かれていたら、セルシェルの演奏は原曲により近いものになっていたと思います。

このようなことを感じながら11弦ギターの幅のある深い音色を聴いていましたら、セルシェルはアンコールですごいサービスをしてくれました。

アンコールの1曲目は、スウェーデン民謡の「さよなら、わたしの美しい花」という曲でした。

どこかで聴いたことがあるような懐かしい旋律が11弦ギターから溢れ出てきます。

簡単な旋律にもかかわらず、11弦ギターの深く響きのある音色が胸に沁み込んできました。

アンコールの2曲目は、レノン&マッカートニーの曲で「Here, there and everywhere」が演奏されました。

セルシェルはいま50代半ばにかかろうとしている世代ですから、若き多感な時代にビートルズからも影響を受けたのでしょう。

11弦ギターで、どうしても弾いてみたかった曲ではないでしょうか。

セルシェルの音楽に対する幅の広さと好奇心の旺盛さを垣間見ることができました。

今回のクラシック倶楽部は何も考えずに気軽に聴くと楽しいのではないかと思います。
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