2008年03月31日

岡田 将 & 山本 貴志

[クラシック倶楽部を楽しむ] 本日のプログラム

[NHK BShi 3月20日放送分]

岡田 将 & 山本 貴志

[プログラム1]

 岡田 将 ピアノ・リサイタル

(演奏曲目)
  バッハ フランス風序曲 ロ短調 BWV831

(会場)
  東京オペラシティ リサイタルホール
  (2006年12月12日収録)

[プログラム2]

 山本 貴志 ピアノ・リサイタル

(演奏曲目)
  シューマン 幻想曲 ハ長調 作品17

(会場)
  東京オペラシティ コンサートホール
  (2007年9月9日収録)

[所感]

本日の「クラシック倶楽部を楽しむ」は、昨日に続いてNHKが“クラシック・アラカルト”と称して企画した、岡田将と山本貴志のピアノ・リサイタルのメニューを取り上げます。

日本のクラシック音楽界にはピアニストとして活躍している才能のある若い演奏家が多いことに本当に驚いてしまいます。

このような中で、ますます円熟味を増してきた岡田と若く挑戦的な山本が同時に視聴できるのはとても興味深いことです。

まず、岡田がバッハのフランス風序曲を演奏します。

この曲は、バッハが組曲として作曲していたものをクラビーアのための練習曲第2番として1735年に出版したということです。

岡田は舞台に出てくると立ったままピアノの譜面台に両手を置き、しばし動作を止めます。

そしてピアノに正対して座ってからも、暫く静思しています。

おそらく、岡田のリサイタルの演目がダイナミックレンジの広いものだったのでしょうか、気持ちの切り替えをしているように見えました。

いよいよ1曲目の序曲の演奏が始まります。

荘厳な序奏からフーガに移りますが、テンポは速すぎず音の一つひとつを丁寧に心地よく弾き進んでいきます。

この1曲目の序曲を聴いただけで、岡田がフランス風序曲の全体像をしっかりとらえて演奏しているという安定感が伝わってきました。

続いて、クーラント〜ガボット〜パスピエ〜サラバンド〜ブーレ〜ジーグ〜エコーと演奏されましたが、ガボット、パスピエ及びブーレにおいては第2テーマをピアニッシモで弾いて見せます。

岡田は、この練習曲が2段鍵盤式チェンバロのために作曲されたということを意識して、おそらく上段鍵盤に移るところをピアニッシモで表現していたのではないかと思います。

また、岡田のペダル操作にも特徴があったように感じました。

ジーグやエコーのようにノンペダルで弾き通してしまうものもあれば、ガボット、パスピエ、サラバンドでは適度にペダルを使い、メリハリをつけて旋律に表情を与えていたようなものもありました。

岡田は、チェンバロの練習曲としてフランス風序曲を演奏しただけではなく、もとの管弦楽曲にまで思いを馳せて曲全体を作り上げたかったのではないかと思いました。

このような意味では古典というよりは、岡田流の現代ピアノによる面白いフランス風序曲になっていたと思います。

つぎは、山本のシューマンの幻想曲です。

この曲は、ベートーベンの記念碑の建立の寄付集めのために作曲されたものですが、この時期にはシューマンはクララとの関係で苦悩していたこともあり、ロマンティックな様式を持った代表的な作品である、とテロップが流れていました。

山本は舞台に登場するとすぐに演奏を始めます。

1楽章では、出だしでベートーベンを懐かしむような旋律が流れます。

しかし、自分とクララとの現実に気づき不安を覚えます。

いっそ、この現実を否定して、自分に打ち勝ちたいと思うような気持ちになりますが、やはりクララをいとおしく思って離れられない自分がいることを自覚して、静かに心を閉じてしまいます。

2楽章では、シューマンの周りに、楽しく祭り騒ぎのように踊りまくっている人たちがいるのに、その中にいる自分はひとり取り残されたように孤独感に苛まれています。

自分の孤独をよそに、人々は相変わらず向こうの方で賑やかに踊っています。

シューマンはいきなりその踊りと喧騒の中に飛び込んで、「何故なんだ!僕を孤独にしているものは何なのだ!」と叫んでいます。

3楽章では、ベートーベンのソナタのような旋律が現れます。

シューマンは我にかえって、現実を受け入れなければならないと思います。

やがてショパンのような旋律が現れ、シューマンの現実肯定に拍車を駆け「これで良いのだ!」と納得させてしまうのです。

幻想曲は静かに、安らかに終わります。

山本の演奏を聴いていると、シューマンにとても同情的であるように感じました。

また、山本はシューマンが幻想曲を作曲した年齢に近いこともあり、ロマンティックかつダイナミックに共感して演奏をしていたと思います。

ただ、山本の演奏姿勢については、まだ童顔が残る(というと失礼かもしれませんが)山本であって許されるパーフォーマンスなのではないでしょうか。

テレビでは山本の時には背中を丸めてピアノに顔が付いてしまうのではないかと思うような演奏姿勢が見えてしまいます。

目を閉じて聴くととても素晴らしい演奏なのに、見てしまうと自己陶酔をしているように思えて、少し残念です。

品格のある姿勢で演奏しても十分に音楽を表現できる実力を持っているのですから、そろそろ童顔を卒業しても良いのではないでしょうか。

本日の「クラシック倶楽部」は“アラカルト”という企画で、日本の二人のピアニストを紹介していて、本当に楽しむことができました。

以上、「クラシック倶楽部を楽しむ」でした。
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2008年03月30日

オフェリー・ガイヤール & ガブリエル・リプキン

[クラシック倶楽部を楽しむ] 本日のプログラム

[NHK BShi 3月19日放送分]

オフェリー・ガイヤール & ガブリエル・リプキン

[プログラム1]
オフェリー・ガイヤール チェロ・リサイタル

(演奏曲目)
  バッハ 無伴奏チェロ組曲 第1番 ト長調 BWV1007

(会場)
  王子ホール
  (2006年12月1日収録)

[プログラム2]
ガブリエル・リプキン チェロ・リサイタル

  ピアノ ユリアン・リーム

(演奏曲目)
  ブラームス チェロ・ソナタ 第1番 ホ短調 作品38
  シューベルト アルペジョーネ・ソナタ イ短調D82 から 第2楽章

(会場)
  浜離宮朝日ホール
  (2007年6月1日収録)

[所感]

本日の「クラシック倶楽部を楽しむ」は、NHKがクラシック倶楽部で“クラシック・アラカルト”と称して、オフェリー・ガイヤールとガブリエル・リプキンのチェロ・リサイタルをメニューとして取り上げていました。

ガイヤールは、朱赤の衣装を着けて、その整った面立ちはギリシャ神のミューズのようであり、舞台に登場してチェロを構えると、もうそれだけで絵になってしまうような魅力を備えています。

演奏するのは、バッハの無伴奏チェロ組曲第1番ですが、この曲が作曲された1720年とあまり隔たりのない頃に製作されたチェロを使用しているのではないでしょうか。

ガイヤールのこだわりはそれだけでなく、弦はガット弦を使用し、弓はバロック弓を使用するという念の入れ方です。

プレリュード〜アルマンド〜クーラント〜サラバンド〜メヌエット〜ジーグと弾き進んでいきましたが、ガイヤールのチェロから感じる躍動感というものがサラバンドのようなゆっくりした舞曲からも感じとれました。

ガイヤールは、チェロが奏でる旋律があたかも自分の前にいる宮廷で舞踏をする者たちに共鳴しているかのように、見事に情景描写をしていました。

また、バッハの時代にはチェロがこんな音色を持った楽器だったという証のようなものをガイヤールは聴く者に伝えたかったのかもしれません。

ガット弦をバロック弓が擦る音色は現在のチェロの演奏ではなかなか聴くことはできませんが、低音部ではふくよかであり、高音部ではやや原始的なチェロの音色が18世紀の宮廷舞踏の世界に何の抵抗もなく聴衆を導いていったのではないでしょうか。

ガイヤールは、ある意味では非常に挑戦的なチェリストで、バッハの古典的演奏形式を取り入れながら、新しいリズミカルなバッハを追及しているのではないかと感じました。

さて、アラカルトと称して、次のメニューにはガブリエル・リプキンが載っています。

リプキンについては、このブログでも2月19日放送分でドビュッシーのチェロ・ソナタとフランクのバイオリン・ソナタを取り上げましたが、同じ日に演奏されて放送されなかったブラームスのチェロ・ソナタ第1番とシューベルトのアルペジョーネ・ソナタの第2楽章がメニューになっています。

リプキンの演奏のテクニックの完璧さと音楽性の豊かさは、すでに2月19日放送分で十分に堪能できましたので、ブラームスをどのように演奏してくれるかに興味がありました。

ブラームスが30代はじめに3年かかって作曲したチェロ・ソナタ第1番は、その間に母親の死に直面し、曲自体が非常に哀愁を帯びたものになっているとテロップが流れていました。

そういえば、3楽章形式の第1番ですがすべての楽章は短調が基調になっています。

リプキンは弾き始める前に暫く黙祷します。

1楽章の冒頭で、リプキンは哀愁の音色で印象的な旋律を弾きます。

さすがにリプキンです。

聴衆は一気にリプキンの世界に導かれていきます。

ブラームスの憂愁と孤独感がリプキンのチェロによって輪郭をはっきりとさせてきます。

やがて慟哭の悲しみで激しく胸が揺さぶられますが、静かな落ち着きを取り戻します。

1楽章が終わると、思わず会場から拍手が沸き起こってしまうくらい、聴衆を虜にしてしまいました。

2楽章になると、憂愁を帯びながらも3拍子のやや軽快なリズムの出現によりブラームスの安らぎが表現されます。

リプキンは、ブラームスにも癒される者がいたのではないかというように演奏します。

そして3楽章になると、バッハを思わせるフーガの旋律が出現します。

ここではリプキンとピアノのリームとの駆け引きが実に見事です。

ブラームスは、3楽章で自分の憂愁の念や孤独感は若さゆえの勲章のようなものだ、と割り切ったのかもしれません。

リプキンとリームが、あたかも心の葛藤を2分して語っているようでした。

リプキンは、若き日のブラームスの心の内面と性格を巧みに物語っていたように思いました。

リプキンはもう1曲(アンコール?)、シューベルトのアルペジョーネ・ソナタの第2楽章を演奏しましたが、意識的にあくまでも静かに、深い音色でという弾き方に専念したため、リプキンの激しく心を揺さぶる音色がなく、やや冗長的に聴こえてしまったように思いました。

本日の「クラシック倶楽部」は“アラカルト”という企画でしたが、結局全メニューの品を食べて満足してしまいました。

以上、「クラシック倶楽部を楽しむ」でした。
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2008年03月26日

東京佼成ウインドオーケストラ

[クラシック倶楽部を楽しむ] 本日のプログラム

[NHK BShi 3月18日放送分]

東京佼成ウインドオーケストラ 演奏会

  指揮 下野竜也

(演奏曲目)

  モーツアルト セレナーデ 変ロ長調 K361 から
  ホルスト 吹奏楽のための第1組曲 変ホ長調
  ストラヴィンスキー 管楽器のための交響曲

(会場)

  東京・紀尾井ホール
  (2008年2月15日収録)

[所感]

本日の「クラシック倶楽部を楽しむ」は、東京佼成ウインドオーケストラが管楽器アンサンブルによる演奏を聴かせてくれます。

日本では、学校教育の中において、ブラスバンドの果たす役割は大きく、これらのブラスバンドを加えればいわゆる管楽器アンサンブルと呼ばれるグループ活動は世界水準的にも多いのではないかと思います。

しかしながら、管楽器アンサンブルがプロフェッショナルとして活躍しているという例は少なく、東京佼成ウインドオーケストラはその草分け的な存在となっているのではないでしょうか。

さて、演奏曲目の方ですが、管楽器アンサンブルのために作曲された名曲中の名曲を3曲演奏します。

まず1曲目は、モーツアルトのセレナード第10番K361で「グランパルティータ」と言われているものです。

この曲は7楽章編成でできていますが、そのうちの4つの楽章を演奏しました。

1:ラルゴ〜3:アダージョ〜6:主題と変奏〜7:フィナーレの順に演奏されていきます。

途中が省略されたのは、NHKの編集かあるいは最初から4曲しか選曲されなかったのかは分かりません。

管楽器が13本(演奏ではコントラファゴットの代わりにコントラバス)の編成でモーツアルトが作曲したということは、宮廷内というより宮廷の中庭での野外宴会で使われたものかもしれません。

13本の楽器の音域や特性を知り尽くして作曲しているようで、モーツアルトの才能には本当に驚いてしまいます。

下野竜也の指揮による東京佼成ウインドオーケストラは、相当に訓練を積んでいるようで各管楽器パートは持ち味をよく出していたと思います。

ただ、6楽章の主題と変奏については、曲そのものがインパクトに欠けるせいか、退屈で長い楽章という印象を受けてしまいました。

でも、7楽章ではなじみ深い楽しい旋律が出てきて、軽快で楽しいうちに演奏は終わりました。

2曲目はホルストの吹奏楽のための第1組曲です。

「惑星」で有名なホルストが1909年に作曲し、吹奏楽の世界に送り込んだ代表作の一つとなっています。

3楽章構成で、1:シャコンヌ〜2:間奏曲〜3:行進曲のように演奏が進められます。

下野の指揮は曲作りが丁寧で、東京佼成ウインドオーケストラも各パートの楽器が持ち味を生かしたキャッチボールを相互にしながらうまくまとめていたと思います。

特に、第1楽章のシャコンヌでは主題に続く15の変奏がしっかり受け渡しされていて、聴いていて気持ちが良いものでした。

東京佼成ウインドオーケストラの各メンバーは演奏技術では高い水準にあることが証明されたホルストの演奏でした。

第3曲目は、ストラヴィンスキーの管楽器のための交響曲です。

楽器の編成からすると、ピッコロが入っていましたので1920年版の譜面を使っていたのかもしれません。

テロップでは、楽器が会話を交わすように旋律が進むと流れていました。

曲想は、さすがにストラヴィンスキーと思わせる不規則なリズムに乗って踊るような旋律が現れ、各管楽器パートは困難な演奏法とテンポに悩ませられながら演奏を続けなければなりません。

東京佼成ウインドオーケストラのメンバーは下野の棒に合わせて熱演を繰り広げたと思います。

疲れのせいか、楽器の音が荒くざらついていたのが少しだけ気にかかりました。

管楽器だけですと、どうしても楽器に無理をさせて吹きすぎる傾向にあるようです。

でも、この難曲を演奏できるウインドオーケストラが日本にあるということは、日本の吹奏楽界に大きな影響と励みを与え続けるのではないでしょうか。

演奏会数が年間実に100回を超えると紹介されていましたが、どちらかというと体力を使う管楽器ですから、いつも最良のコンディションで楽しい吹奏楽をたくさん聴かせていただきたいと思います。

本日の「クラシック倶楽部」は日本の吹奏楽の草分け、東京佼成ウインドオーケストラが全国の管楽器アンサンブルに対して示したお手本のような演奏で、楽しく聴くことができました。

以上、「クラシック倶楽部を楽しむ」でした。
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2008年03月23日

吉野直子の世界 ハープ五重奏

[クラシック倶楽部を楽しむ] 本日のプログラム

[NHK BShi 3月17日放送分]

吉野直子の世界 ハープ五重奏

(演奏)

  ハープ   吉野 直子
  フルート  佐久間 由美子
  バイオリン 川田 知子
  ビオラ   鈴木 康浩
  チェロ   山本 裕康

(演奏曲目)

  モーツアルト アダージョとロンド K.617
  ピエルネ 自由な変奏と終曲 作品51
  ドビュッシー 子供の領分(サルゼード編)
  ジョリヴェ リノスの歌

(会場)

  東京・JTアートホール アフィニス
  (2008年1月28日収録)

[所感]

本日の「クラシック倶楽部を楽しむ」は、“吉野直子の世界”と題して吉野直子の企画によって吉野とその仲間たちが演奏を披露します。

日本ではハープが独奏楽器としてなかなか根付いていなかったのですが、吉野が17歳のときイスラエルのハープ国際コンクールで優勝を遂げデビューしたときの印象は本当に鮮烈で、ハープに日本のクラシック音楽界で市民権を獲得させるきっかけになったのではないかと思います。

さて、第1曲目はモーツアルトのアダージョとロンドです。

この曲は、モーツアルトの晩年に、目の不自由なグラスハーモニカ奏者のために作曲されたもので、ここではグラスハーモニカのパートをハープが、またオーボエのパートをバイオリンが演奏している、とテロップに流れていました。

グラスハーモニカというのはどんな形をしていて、どのように演奏するのか、見たことがないので分かりませんが、ハープで演奏しても少しも不自然ではないというところが、モーツアルトの妙味なのでしょうか。

アダージョの部分は、荘厳な導入部から軽快な踊りのような旋律に展開していきますが、5人のソリストたちがアンサンブルの具合を確かめるように演奏しているのがとても印象的でした。

ロンドに入ると5人は、「これは結構楽しく演奏できそうだよ。」というような気持になって、心地よく吹く春風の中でお互いにお話を交わしているような雰囲気を作っていました。

2曲目は、ピエルネの“自由な変奏と終曲”です。

ガブリエル・ピエルネはフランスの印象的な作風を持つ作曲家であり、指揮者としても活躍した、とテロップに流れました。

この“自由な変奏と終曲”を聴いていると、モチーフもしっかりしていてピエルネは素晴らしい作曲家だと思いましたが、同時期にラベルやドビュッシーがいたため、作曲家としては目立たず、指揮者としての地位が確立していたようです。

五重奏が始まると、目の前に鮮明に印象派的モチーフが浮かんできます。

フルートとビオラの導入からチェロに弾き継がれる旋律の中に、ふっとモネの描いた“睡蓮”の絵のような情景が浮かび上がってきます。

睡蓮の池はどんよりとした空の下で靄のかかったように紗がかって静かな風景を現わします。

しばらくして、睡蓮の池にどんよりとした空から大粒の雨がぽつぽつと落ちてきます。

雨は霧のようになり降り続けますが、やがて空の雲が割れ、霞に包まれた夕日がぼっと見えるようになります。

ぼっとした夕日は、睡蓮の池の水面にかすかな影を映し出しています。

夕日が沈みかけ、睡蓮の池は夕暮れにさしかかり、カエルや糸トンボなどの小さな生き物たちが夜のとばりを前に活発に動き回る生命の営みの様子が伝わってきます。

そして、睡蓮の池はすっかりと闇に包まれていき、生命あるものはすべて眠りに就くのです。

と、本当に印象派の絵の中に吸い込まれて、移りゆく情景を見ているようで、素晴らしい演奏でした。

3曲目は、同じ印象派であるドビュッシーの“子供の領分”の演奏でした。

フランスのハーピストで作曲家でもあるカルロス・サルゼードが、ドビュッシーのピアノ組曲を編曲したものであるとテロップに流れていました。

楽器の構成は、佐久間のフルート、山本のチェロ、吉野のハープという三重奏曲になっていました。

組曲の6曲が全曲演奏されましたが、どの曲も副題にふさわしい演奏表現で楽しく仕上げられていたと思います。

特に、1番目の“グラドゥス・アド・パルナッスム博士”では、ハープを子供のピアノのお稽古に見立てて、その横で先生たちをフルートとチェロが演じ、いろいろおしゃべりしている様子が見えてとても面白かったです。

また、“象のこもり歌”で聴かせた山本のやわらかく透き通るようなチェロの響きは、この人の演奏をソロリサイタルで聴いてみたいと思わせるものでした。

最後は、ジョリヴェの“リノスの歌”です。

この曲は、アンドレ・ジョリヴェが第2次世界大戦末期に学生の試験のために作曲した作品で、古代ギリシャの韻を踏む旋律を持っている、とテロップに流れていました。

リノスというのは古代ギリシャの半神で、竪琴の名手だったようです。

そのリノスが、こともあろうにギリシャ神きっての力持ちのヘラクレスに竪琴を教えることになったというのですから大変です。

まず、リノスとヘラクレスが天空上に登場です。

リノスがヘラクレスに向って、「最初はゆっくり音を出す練習ですよ。」と手本を示します。

ヘラクレスは力にまかせて激しく竪琴をかき鳴らします。

リノスが「そうではありません。このように。」とまた演奏して見せます。

ヘラクレスは、やはり激しくかきむしるだけです。

リノスは「それでは軽快なテンポのところを弾いてみましょう。」と言って手本を示します。

ヘラクレスはテンポについていけないで遅く弾いてしまいます。

リノスがあきれ顔で「あなたは駄目ですねぇ。ちゃんと私の言うことを聞いてください。」(と言って思わずヘラクレスを殴ったのかどうか?)と言うビオラの穏やかな音色が聴こえます。

ヘラクレスはすっかり頭にきて、「もうこんなことやっていられないよ!」とわめき散らした揚句、竪琴でリノスを殴り殺してしまったのです。

吉野がハープのボディを叩く音が入りました。(ヘラクレスがとうとうやってしまったのです。)

と、こんなふうに聴こえました。

この曲では、何と言ってもフルートの佐久間由美子の演奏が光り輝いていました。

吉野は、自分が前に出ることなく、集まった5人の素晴らしいアーティストたちのアシスト役としてアンサンブルを見事にまとめていたと感じました。

この5人のアンサンブルは非常に語り上手で、音楽づくりに優れていますので、これからもいろいろなレパートリーの演奏を聴かせてほしいと思いました。

本日の「クラシック倶楽部」はハープの吉野直子が企画したプログラムでしたが、どれをとっても本当に楽しめる演奏でした。

以上、「クラシック倶楽部を楽しむ」でした。
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2008年03月21日

ジョナサン・ビス ピアノ・リサイタル

[クラシック倶楽部を楽しむ] 本日のプログラム

[NHK BShi 3月14日放送分]

ジョナサン・ビス ピアノ・リサイタル

(演奏曲目)

  ヤナーチェク ピアノ・ソナタ 1905年10月1日
  シューベルト ピアノ・ソナタ イ長調 D.959

(会場)

  東京オペラシティ コンサートホール
  (2008年2月13日収録)

[所感]

本日の「クラシック倶楽部を楽しむ」は、ジョナサン・ビスのピアノ・リサイタルです。

ピアニストのジョナサン・ビスについて、私は情報を全く持ち合わせていませんでした。

テロップに、アメリカの音楽家の家系に生まれ育って、既にピアニストとしては世界的に評価をされ、モーツアルトから現代音楽に至るまで幅広いレパートリーを持って活躍していると紹介されていました。

ビルのようにコンクールという関門を経ないでも、クラシック音楽の世界では本当にいろいろな演奏家がチャンスと巡り合って活躍しているのだなと思いました。

ビルの日本におけるデビューは2007年1月の東京でのコンサートだそうで、本日のプログラムは2回目の来日演奏の時のもののようです。

年齢的には28歳になろうとしているビルですが、無冠の天才の道を歩んできた若いピアニストがどのような演奏を聴かせてくれるのか楽しみです。

さて、ビルが舞台に現れます。

やや大柄で、見るからにアメリカンスタイルの風貌を持っているようでした。

第1曲目はヤナーチェクのピアノ・ソナタ「1905年10月1日」です。

このソナタは、ブルノで起きた独立民族運動への弾圧に対して、ヤナーチェクが衝撃を受けて作曲したもので、気性の激しいヤナーチェクはこの曲の第3楽章を焼き捨ててしまった、とテロップで紹介されていました。

ヤナーチェクの唯一のピアノ・ソナタに当たる2楽章形式の曲としてかろうじて残ったといういわく因縁があるようです。

第1楽章は「予感」というタイトルが付いていますが、ビルは不安げで何かが起きそうな旋律を演奏し始めます。

国粋主義者のヤナーチェクが、チェコ語で何かをつぶやいているように聞こえます。

そのつぶやきは、次第に勢いを増して叫んでいるように聞こえます。

ビルのピアノは、ヤナーチェクの話す言葉のイントネーションを辿るように旋律を奏でているようです。

きっと、チェコ語が話せる人がいるならば、この部分の旋律はもっと興味深く聞こえてくるのではないでしょうか。

第1楽章は、心の爆発を抑えるように静かに終わります。

第2楽章には「死」というタイトルが付いています。

ビルは口をへの字に歪めながら、静かに無音階的旋律を弾いていきます。

同じ旋律が繰り返して出現しては響きます。

ここでも、ヤナーチェクが死者に対する憐みと同情をチェコ語で何度もつぶやいているように聞こえます。

やがて、その旋律も消え入るように曲は終わります。

ビルは、悲哀をこめて第2楽章を弾きましたが、やはりチェコ語のイントネーションが分からない聴く者のところには、深い理解と説得する言葉は届かなかったように感じます。

この曲は、もともと作曲者ヤナーチェクも気に入らず自筆の譜面をモルダウ川に捨ててしまったというくらいですから、原曲そのものの構想が独善的で難しいのではないかと思います。

ビルはヤナーチェクの時代の民族運動の盛んだった頃の歴史的背景や、チェコ語のイントネーションを理解して演奏したのでしょうが、聴衆に対してはそれを表現することが難しい作品なのかもしれません。

第2曲目にビルは、シューベルトのピアノ・ソナタ第20番を演奏します。

テロップではシューベルトが亡くなる2か月前にできた作品で温かみのある旋律を持った曲であると紹介されていました。

ビルは第1楽章冒頭では、親しみやすい懐かしい旋律を提示していきます。

ベートーベンのソナタのように聞こえてくることに一瞬驚いてしまいます。

第1楽章では、シューベルトはベートーベンのモチーフを取り入れて、何度も繰り返し再現して見せているようです。

ビルは、そのような繰り返しの旋律を聴く者に納得させようと演奏しますが、もう少しリピートに変化をつけてくれればいいのにと思ってしまいました。

ビルの演奏には、第1楽章にやや冗長的な感覚が残ったように思いました。

しかし、第2楽章に入ると状況は一変します。

導入部は短調で始まり、物思いに耽りながらゆっくり歩いているような旋律が出現します。

シューベルトは、第2楽章で死期の近い自分の境遇に気付いたのでしょうか、哀愁に満ちた歌でも歌っているようです。

でも、心の葛藤の中で、自分を奮い立たせるような激しい感情が湧きあがってきます。

ビルは、シューベルトの心の揺れを上手くとらえて、第2楽章を曲全体の中心において演奏していたのではないかと思います。

第3楽章は、軽快な4拍子の飛び跳ねるような旋律で埋め尽くされます。

シューベルトの周りを、羽根の生えた天使たちが「何も心配することはないのよ!」と言いながら飛び回っているようです。

ビルのピアノはとても軽快で、沈んでいる気持ちを励ますように弾き続けられていきます。

そして第4楽章に入ると、そこには、歌曲を思わせる懐かしい旋律が現れます。

第4番ソナタイ短調から引用された旋律のようですが、ベートーベンを彷彿させるようです。

ビルのピアノは、高音域を美しく響かせながら歌い続けます。

やがて完全なソナタ形式を静かに終焉させるのです。

シューベルトの20番のピアノ・ソナタはシューベルトの死の年に書かれたものとは思えないほど、全体的にはとても明るく、包容力のある構成になっていると思いました。

また、ベートーベン的であるところについては、よく考えると前年にベートーベンが死んでおり、ベートーベンが自己の作品に影響を与える作曲家として、シューベルト自身が明確に意識しておきたかったのかもしれません。

そして、ベートーベンへの追悼とシューベルト自身の厳しい現実の健康状態が重ね合わさって、シューベルト自身の生への執着のようなものが芽吹いていたのだと思います。

ところで、ビスの演奏ですが、ヤナーチェクの言語理解力を要求されるような難しいピアノ・ソナタと、シューベルトの最晩年の屈折した心を奮い立たせるような、これも内容的には容易でない20番のピアノ・ソナタを演奏して聴かせてくれました。

ビスは、ピアノテクニックにおいてはほとんど完璧に仕上げていたように思います。

しかしながら、ピアノの一つひとつの音色の変化については少し物足りなさを感じました。

特に、2曲とも同じ旋律の繰り返しの多い構成になっていましたので、変化に乏しいビスの演奏法は、曲全体にやや冗長性を感じさせてしまったのではないかと思います。

ビスが、聴かせどころを上手くつかむコツを今後の研鑽で積んでいくならば、素晴らしい演奏家へと成長するのではないでしょうか。

本日の「クラシック倶楽部」はジョナサン・ビスという無冠の若いピアニストが構成的にも難しい2つのピアノ・ソナタに挑戦する姿を映し、楽しく視聴することができました。

以上、「クラシック倶楽部を楽しむ」でした。
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2008年03月20日

クリスティアン・ゲルハーヘル

[クラシック倶楽部を楽しむ] 本日のプログラム

[NHK BShi 3月13日放送分]

クリティアン・ゲルハーヘル バリトン・リサイタル

  ピアノ ゲロルト・フーバー

(演奏曲目)

  シューベルト 歌曲集「冬の旅」D.911 から

(会場)

  王子ホール

[所感]

本日の「クラシック倶楽部を楽しむ」は、クリスティアン・ゲルハーヘルのバリトン・リサイタルで、シューベルトの歌曲集「冬の旅」からです。

ゲルハーヘルは、丁度40歳代に差しかかろうとしているドイツ・リートを歌う歌手の一人です。

テロップでは、医学生として医学博士まで極めてから歌手の道を選択したというように紹介されていたと思います。

ですから、声楽家としては専門に教育を受けていないのかもしれません。

さて、シューベルトの「冬の旅」ですが、日本では「菩提樹」が入っている歌曲といった方が分かるくらい親しまれてきました。

ヴィルヘルミ・ミュラーの詩集にシューベルトが曲をつけたものですが、シューベルトはミュラーの詩集「美しき水車小屋の娘」にも曲をつけています。

ここで、シューベルト談義をするのは専門外のことなので控えたいと思いますが、「美しき水車小屋の娘」の方が先に作曲されており、恋〜失恋〜死というモチーフを描いています。

ところが、「冬の旅」ではすでに絶望した若者が旅に出て死の場所を求めていくような、ただ悲壮感が漂った内容になっていると思います。

これは「冬の旅」がシューベルトの死ぬ前の年の1827年に作曲されたものであり、シューベルト自身が死というものを意識している現実と結びついているといえますが、「美しき水車小屋の娘」で裏切りと失恋を味わった若者のその後の姿(シューベルト自身か?)を映しているともいえるのではないかと思います。

つまり、「冬の旅」にはシューベルト自身の「美しき水車小屋・・・」での回想と死に直面している現実が重ね合わさっているのではないかと考えます。

このようなことを思いながら、ゲルハーヘルの「冬の旅」を聴いていると、ゲルハーヘルは高音部ではテナーに近いドラマティックな声量と音質を持っているにもかかわらず、とても冷静に抑えるように歌っているのが印象的でした。

ゲルハーヘルは、ミュラーの一つひとつの詩をシューベルトの旋律に乗せて聴く者の前に「ぼくはこう思うのだけれど、あなたはどう思う?」と聞くように表していきます。

医学を学んだゲルハーヘルだけに、聴衆に自分の意見を押し付けるのではなく、まるでインフォームド・コンセントを試みているようです。

シューベルトはミュラーの詩集の順番を変えて2部構成で「冬の旅」を作曲していますが、ゲルハーヘルは、前半の12曲目の“孤独”までを、若者が生きてきた証と心の片隅にまだ残っているほんの少しの生への願望のようなものを感じながら歌っているように感じられました。

5曲目の“菩提樹”では、声を抑えに抑えてピアニッシモで懐かしい回想シーンを歌い上げ、旅立つ若者の孤独ではあるが、まだ生に固執しているという姿を聴衆の前に明らかにします。

ゲルハーヘルの抑制された声で、胸の奥にまで入り込んでくる“菩提樹”には思わず感動してしまいました。

後半の13曲目の“郵便馬車”に入り、「もう誰からも救いの手などは届かないのだ」と感じてからは、ゲルハーヘルの歌には強く死という影が映ってきます。

15曲目の“カラス”で死が近づいてくるのを感じ、やがて、20曲目の“道しるべ”では運命に任せて、天の示す道しるべに従っていくしかない自分を自覚します。

ゲルハーヘルはそれでも、18曲目の“嵐の朝”で荒々しく、ドラマティックに若者のすさんだ心を奮い立たせようと試みるのですが、もうそれは遅すぎることでした。

そして最後の曲“つじ音楽師”に行き着きます。

誰も耳を傾けず、犬だけがまといつくようなつじ音楽師ですが、若者を死の世界へと導く案内人です。

「おかしなおじいさん。ついて行っていいかい?僕の歌に手風琴を合わせてくれるかい?」

シューベルトの最後の言葉となって結ばれているような気がします。

ゲルハーヘルは、決して激情的になることなく、あくまでも冷静に、聴く者に若者(シューベルト)の死を迎えようとしている姿を明らかにしていったのです。

ゲルハーヘルのテナーに近い、意外に明るい声が「冬の旅」では抑制され、素晴らしい情景描写をして見せてくれたと思います。

なお、ピアノを担当していたゲロルト・フーバーは、ゲルハーヘルとは15年も一緒に演奏活動をしているというだけあって、息がぴったり合っていて素晴らしい相棒ぶりを発揮していたと思います。

本日の「クラシック倶楽部」は、NHKが時間の都合で途中の何篇かを省略したのは少し残念ですが、十分に楽しめた企画だったと思います。

以上、「クラシック倶楽部を楽しむ」でした。
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2008年03月18日

若林 顕 ピアノ・リサイタル

[クラシック倶楽部を楽しむ] 本日のプログラム

[NHK BShi 3月12日放送分]

若林 顕 ピアノ・リサイタル

(演奏曲目)

  ショパン 幻想ポロネーズ 作品61
        舟歌 作品60

  ラフマニノフ ピアノ・ソナタ 変ロ短調 作品36
          前奏曲 嬰ト短調 作品32 第12

(会場)

  トッパンホール

[所感]

本日の「クラシック倶楽部を楽しむ」は、若林顕のピアノ・リサイタルです。

若林については、1月31日放送分で及川浩治とジョイントという形で放映されていましたので、このブログでも取り上げました。

本日のプログラムは、同じ日に若林が演奏していて放送には流れなかった曲目を編集しているようです。

若林は前回、ショパンの作品番号が比較的若い作品を4曲演奏していたのですが、今回のはショパンの最晩年に近い作品を2曲演奏していました。

まず、1曲目は幻想ポロネーズ(ポロネーズ第7番)です。

若林は、ショパンが苦悩の中で作曲したと言われているこの作品の中に、深く自らの魂を吹き込んで演奏していきます。

前回の華麗なる円舞曲で見せたような華やかさは、若林のピアノタッチからすっかり消えて、まるで鍵盤が粘々していて指に絡みつくのを振り払っているかのように弾いています。

とうとう最後まで、若林は幻想的呪縛から逃れられずに、わずかに残った力を振り絞って、いくつかの鍵盤を叩いて出した和音により終焉を迎えた、というところでしょうか。

若林は、次の舟歌に移っても鍵盤の粘り気と戦っているようでした。

ショパンの晩年の同じ時期に作曲された作品は、2曲とも聴く者に衝撃を与えます。

宮廷のサロン風で華やかな旋律を与え続けてきたショパンが、何故、こんなにも苦しんでいる姿を見せるのか、理解できないでいるのです。

若林は、そんな戸惑いに対しても、あくまでも冷静に現実の世界を明らかにして見せてしまいます。

若林のピアノは、若林流に確立していて、聴き手が安心して聴いているうちに納得してしまうという巧さがあります。

3曲目のラフマニノフのピアノ・ソナタになると、若林のピアノの音色は全く違ってきます。

ショパンで聴かせた指に絡みつくような憂鬱で不安げな音がなくなります。

若林のピアノの音に揺らめきと煌めきが加わります。

しかし、若林は情熱的に演奏していても、あくまでも自分を冷静に見つめています。

ラフマニノフのピアノ・ソナタ第2番は、いろいろな解釈と演奏法がある、いわく付の曲ですが、若林は1913年の原典版で弾いているとテロップに流れていました。

原典版は長すぎて冗長的だと言われることもあるそうですが、若林の演奏はそんなことを少しも感じさせませんでした。

第1楽章:波が寄せては返す、怒涛の嵐のような旋律。

第2楽章:静寂における癒し、慰め。

第3楽章:激情、懐古、決意へと。

などと思いを馳せている中で演奏は終わってしまいました。

若林の音楽は聴く者を安定した心地よい気持ちにさせてくれます。

最後のラフマニノフの前奏曲は、若林の右手がピアノの鍵盤上を休みなく回転しているようで、とても難しいことをやっているのだろうと思うのですが、そんな風に感じさせないのです。

本当に若林は冷静沈着で理解力の優れた演奏家だと納得してしまいました。

本日の「クラシック倶楽部」は、若林顕のパーソナリティを良く表していて楽しい企画だったと思います。

以上、「クラシック倶楽部を楽しむ」でした。
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2008年03月17日

ウラディーミル・フェルツマン

「クラシック倶楽部を楽しむ」 本日のプログラム

[BShi 3月11日放送分]

ウラディーミル・フェルツマン ピアノ・リサイタル

(演奏曲目)

  バッハ パルティータ 第2番 ハ短調 BWV826
  ショパン バラード 第1番 ト短調 作品2
        バラード 第2番 ヘ長調 作品38
        バラード 第3番 変イ長調 作品47
        バラード 第4番 ヘ短調 作品52

(会場)

  王子ホール

[所感]

今回の「クラシック倶楽部を楽しむ」は、ウラディーミル・フェルツマンのピアノ・リサイタルです。

旧ソ連の芸術活動への批判をしたことにより、フェルツマンには長く困難な音楽活動の時期があったということです。

その後、1987年にアメリカへ移住したと字幕が流れていましたが、そのような経験を経てきたからこそ彼の音楽に対する造詣は一層深いものになっていったのかもしれません。

今、50代半ばを迎えて、かつてのホロヴィッツやリヒテルの後継として重要なピアニストの一人に挙げられるのではないかと思います。

さて、フェルツマンがステージに登場します。

一見、愛想の悪そうな風貌です。

ピアノの前に座ると、両手をピアノの譜面台のあたりにおいてしばし間をとります。

バッハのパルティータ第2番を弾き始めます。

フェルツマンはピアノタッチを大げさにすることなく、抑制してチェンバロのようなタッチでピアノを弾き進みます。

シンフォニア:荘厳な導入から軽快なフーガへ〜アルマンド:ゆっくり流れるように曲をつなぐ〜クラント:3拍子で早足くらいの宮廷の踊り〜サラバンド:3拍子だが2拍目にアクセントのあるゆっくりとした踊り〜ロンドー:6/8拍子でスキップをするような軽やかな旋律の繰り返し〜カプリッチョ:3拍子の速い旋律からクライマックスへ。

現在のように完成されたピアノという楽器を知らないバッハが、この場でフェルツマンの演奏を聴いたとしたら、「自分の求めていた音楽はこれだ!」と叫んだかもしれません。

フェルツマンのピアノの一つひとつの音は他の音と迎合することなく、独立して極めてクリアな音色となって旋律を奏でていました。

フェルツマンは、チェンバロで演奏されていたパルティータを、ピアノの音によって余分に装飾することを排除し、純粋にバッハの旋律として表現していたのです。

もはや何物にも妥協を許しえないフェルツマンのバッハが確立しているかのようでした。

私たちが聴いているのは、もはやピアノの音ではなく、フェルツマンが会話を交わしている天上の声ではなかったかと感じました。

かつて、グレン・グールドの人間声楽的なバッハに共感したときとは全く別の、神々しさを持ったバッハに深く感動してしまいました。

さて、次はショパンのバラードで、第1番から第4番まで全曲を演奏しました。

まず、第一番の演奏が始まります。

相変わらず無愛想な表情ですが、バッハのときとは全くピアノの音色が違います。

ピアノの音から神々しさは消え、人間が歌を歌っているように聞こえます。

悲壮感を漂わせて心の底から響くような歌声が聞こえてきます。

もしかしたら、フェルツマンが過ごした困難な時代を思い出しているのかもしれません。

自分の境遇を恨み嘆くように旋律は続きます。

やがて、嘆きや怒りを抑えきれず激昂へと気持は走ります。

何ともやりきれない気持ちのまま、バラードの第1番は終わります。

聴衆の間から思わず拍手が沸き起こりますが、フェルツマンは聴衆の方に右手を差し向けて拍手を制するしぐさを見せます。

「どうぞ、拍手をしないでください。私はまだ、歌い終わってはいないのですから。」と言うように。

そして、バラードの第2番に移ります。

フェルツマンは自分の回想をまだ歌い続け、和やかで楽しかった日々があったことを思い出しているようです。

しかし、波乱の日々は彼にとっては拭い去ることのできない重荷となって、平常な心を乱します。

「何故、自分が理解されなかったのか。」という激しい怒りの気持ちがピアノの旋律と重なり合います。

やかて、バラードの第3番に移っていきます。

とても穏やかで優しい旋律が現れます。

多分、フェルツマンが困難な時期から解放されて、アメリカへ移住したころを思い出しているのではないでしょうか。

時々どちらかの手が空くと、ピアノに向って指揮をとるようなしぐさをして、フェルツマンもピアノと一緒に歌っているようでした。

第3番がフェルツマンにとっては、転機の時期を表しているのではないかと思えました。

そして、最後のバラード第4番に入ります。

ここではフェルツマンの意思がはっきりしてきます。

音楽によって、人々に平和の心を伝えていきたい、優しく、子守歌を歌うように音楽活動を続けていきたい、という気持ちが強く表れているようです。

一見、無愛想なフェルツマンですが、本当は寛大な優しい心の持ち主であることが分かります。

このようにして、バラードを4曲全部歌い続けたフェルツマンですが、演奏が終わると相変わらず、無愛想な顔をしてさっさと引っこんでしまうあたりが、また面白いです。

とにかく、本日の「くらしっく倶楽部」ではフェルツマンの存在というものが、いまのクラシック音楽界にはなくてはならないほど重要だということを思い知りました。

当分の間、フェルツマンのバッハの旋律と音色は忘れられないでしょう。

以上、「クラシック倶楽部を楽しむ」でした。
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2008年03月16日

「クラシック倶楽部を楽しむ」回顧1

「クラシック倶楽部を楽しむ」 回顧1

[BShi 3月11日放送分]のクラシック倶楽部は、特別番組(ゴルフの中継)で休止になっていました。

ちょうど良い機会なので、今年の2月5日にこのブログを開設してから約1か月間の回顧などをしておきたいと思います。

さて、このブログの管理人は、クラシック音楽を専門に勉強してきたわけでもなく、特別にクラシック音楽のレコードやCDなどにこだわって集めてきたこともない、NHKBShiの「クラシック倶楽部」(朝6時からの放映分)を毎日楽しく見ているごく平凡な一人の視聴者です。

その視聴者の一人が、ある日急に思い立って、クラシック倶楽部に登場してくるアーティストの演奏について感じたことなどを書き留めておこうと決心したのです。

それだけでなく、今までに全く経験のなかったインターネットという媒体を介して情報発信も試みようと思ったのですから驚きです。

このような状況で、開設されたブログが「クラシック倶楽部を楽しむ」なのです。

ですから、書いていることは、あくまでも素人視線によるものです。

この1か月間ほど「クラシック倶楽部」を視聴していて、強く感じることは、画面の向こう側は“プロフェッショナルの世界である”ということです。

きっと、クラシック倶楽部の映像の裏には、計り知れない厳しい訓練の積み重ねがあって、世界の数々のオーディションに挑戦し、その関門を突破した後には、マネージャーやプロダクションなどが世界中を飛び回わらなければならない事情や背景があるのでしょう。

約1か月間ブログを書き続けて、私がそのようなプロの世界について知らないまま、アーティストの演奏に対して不満を持ってしまったことが随分ありました。

例をあげれば、ラ・フォル・ジュルネ音楽祭2007にソリストとして参加していたチェロのアレクサンドル・クニャーゼフとピアノのボリス・ベレゾフスキーではないかと思います。

彼らは、ドミートリ・リスの指揮するウラル・フィルハーモニー管弦楽団と協演したのですが、演奏の部類としてはどちらかと言えば失敗だったと思います。

聴く側にとっては期待が大きかっただけに、大きな不満が残りました。

しかし、後でよく考えると、これらの演奏がラ・フォル・ジュルネ音楽祭という大括弧で括られていたことを見落としてはいけないと思えるのです。

音楽祭中に、殆ど毎日のように新しいプログラムで出ずっぱりになっているウラル・フィルが、ソリストと十分にリハーサルや打ち合わせをできる筈はなかったのではないでしょうか。

そのような、舞台裏のことを考えれば、逆にクニャーゼフもベレゾフスキーも、ぶっつけ本番に近い演奏環境のもとでトラブルを克服しながら弾き切ったのはさすがにプロだと言えます。

でも、素人の視聴者としては、これからこのようなことがあった場合には、やはり不満だと言わせていただくつもりでいます。

また、わずか1ヶ月間ですが、若手の才能あるアーティストがたくさん登場しました。

最も印象に残っているのは、ギターの大萩康司とデュオ・リサイタルをしたチェロの趙静とピアノの中野翔太だったと思います。

趙静の明るく軽やかなチェロの音色と豊かな音楽性は聴く者を本当に楽しませてくれました。

また、中野翔太のピアノは若々しく挑戦的であり、未知数をたくさん持っているように感じました。

中野には、世界で通用するピアニストになっていくことに期待を寄せたいと思います。

そして、何と言っても、クラシック倶楽部の楽しいところは、思いもよらぬ企画ものに出会えることでしょう。

フランソワ・ブランシェ製作(1765年製)のチェンバロの演奏には感動しました。

中野振一郎が製作されて250年も経っているチェンバロで「スキタイ人の行進」を激しく弾く様はとても印象的で旋律がいつまでも耳に残りました。

そして、「向山佳絵子と仲間たち」では、集まった8人のアーティストたちがそれぞれに楽器を介しておしゃべりをしていたようで、とても楽しいひと時を過ごすことができました。

また、比叡山延暦寺の自然と幽玄な世界で村治佳織が演奏したギターの旋律と音色はどこまでも澄んでいて、周囲の大木の中にまで深く浸み込んでいくようで、聴く者の心に深く共鳴を与えるものでした。

このように書いていくとキリはありませんが、わずか1か月という時間の中で、クラシック倶楽部から得られた感動ははかり知れません。

私の拙い文章ではとても伝えきれないものですが、これからも「クラシック倶楽部を楽しむ」というブログを書き続けていきたいと思っています。

時々、このブログにお立ち寄りいただいている皆さん、本当にありがとうございます。
そして、今後ともよろしくお願いいたします。

管理人 クラシックマ
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2008年03月14日

高木和弘 バイオリン・リサイタル

「クラシック倶楽部を楽しむ」 本日のプログラム

[BShi 3月7日放送分]

高木 和弘 バイオリン・リサイタル

  ピアノ 佐藤 勝重

(演奏曲目)

  ヴィニャフスキ 創作主題と変奏 作品15
  イザイ サン・サーンスのワルツ形式の練習曲の主題による奇想曲
  ワックスマン カルメン幻想曲
  ショーソン 詩曲 作品25

(会場)

  NHK大阪ホール

[所感]

今回の「クラシック倶楽部を楽しむ」は、高木和弘のバイオリン・リサイタルです。

NHK大阪ホールを満席にする高木和弘とはどのようなバイオリニストか、私は全く理解していませんでした。

しかし、演奏の合間にNHKが挿入したピアニストの佐藤との練習風景や、ちょっとした対談などを見ていると、高木は非常に明るく、前向きに物事を考える音楽家であるという印象を受けました。

また、時々トーク・ショーのようなことも積極的に開催して、楽しく、分かりやすいクラシック音楽の普及に尽力されているということで、とても貴重な人材の一人ではないかと思います。

高木の音楽活動の一部分を垣間見ながら、本日の演奏プログラムを見た途端、思わず「うーん!」と声を上げてしまいました。

どの曲をとってみても、一筋縄ではいかない難曲ばかりです。

高木自身がインタビューで、「演奏するに当たって、不安な部分を練習していくことによって、常に挑戦する音楽家でありたい。」と言っていましたが、30歳代の半ばになって技術的進歩が減速してくる時期に、このような志を持ち続けている高木だからこそ、ホールを満席にできるのだと改めて感じてしまいました。

高木と共演するピアノの佐藤とは、お互いにフランスに留学している時代に出会ったと話していましたが、高木の明るくかつ真摯な音楽に対する姿勢は周囲によき理解者をたくさん作っているのではないかと思います。

さて、演奏曲目ですが、1曲目はヴィニャフスキです。

序奏から主題へと重々しく旋律が移っていきます。

何か鬱勃とした気持ちで若者が自分を見つめています。

そこに、「よーっ!」と軽快なテンポで友達が歩いてやってきます。

「そんなにクヨクヨするなよ。もっと前向きに物事を考えようよ。」と、友達は慰めています。

「そうだな、よし頭を切り替えて愉快にやろう。」と、若者は友達と陽気に踊りだします。

友達のおかげで若者は、欝なる気分からすっかり開放されていきます。

と、いうような変奏の流れになっているように思えますが、高木のバイオリンは音楽の正確性を追求しているためか、全般的にテンポが遅く最後の開放感が不完全燃焼気味でした。

2曲目のイザイは、カプリースですので高木のバイオリンの歌うままに任せましょう。

やはり重音が続いて音階が上がるところは難しいようでした。

3曲目のカルメン幻想曲は、高木のバイオリンと佐藤のピアノの駆け引きがうまくいっていたのではないかと思います。

この曲も、全体的にゆっくりとしたテンポで、高木の、神業ではなく、努力している姿を見せたいという気持ちがよく伝わってきました。

最後のショーソンの詩曲は、高木の最も聴かせたかったプログラムなのかもしれません。

何故なら、普通でしたら、この曲がプログラムの最初のほうにくると思います。

しかしながら、高木は、ひょっとしたら最後には退屈したまま終わってしまいそうな詩曲に、明確なテーマを与えて最後の曲として演奏しようとしていたのです。

高木は、神秘的な天上の愛から、人間的な情熱的な愛へと芽生えいく人間の姿を、中間部のバイオリンのカデンツアを境にして明確に表現し、力強く訴えようとしていたのではないでしょうか。

プログラムの全体を通して、高木の演奏は技術的に完成されたものとは言い切れないところが多々あったことは否めません。

しかし、高木が今、ひとりの音楽家として実現したいことは、トーク・ショウなどによる大衆迎合的な音楽の普及などではなく、高木が演奏家として常に挑戦的であり、努力している生き様のようなものを聴衆に感じ取ってもらいたいということではないかと強く感じました。

本日の「クラシック倶楽部」は、外国からスーパー・スターを集めてくるプロダクションの考え方とは一味違う、日本の音楽家たちが毅然として存在するということを知る上で、大変よい企画だったと思います。

以上、「クラシック倶楽部を楽しむ」でした。
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2008年03月13日

アリーナ・イブラギモヴァ バイオリン・リサイタル

「クラシック倶楽部を楽しむ」 本日のプログラム

[BShi 3月6日放送分]

アリーナ・イブラギモヴァ バイオリン・リサイタル

(演奏曲目)

  イザイ 無伴奏バイオリン・ソナタ 作品27 第4番 ホ短調
  バッハ 無伴奏バイオリン・パルティータ 第3番 ホ長調 BWV1006から
  バルトーク 無伴奏バイオリン・ソナタ

(会場)

  武蔵野市民文化会館 小ホール

[所感]

今回の「クラシック倶楽部を楽しむ」は、アリーナ・イブラギモヴァのバイオリン・リサイタルです。

イブラギモヴァはテロップの紹介では、このリサイタルを収録したときに丁度20歳を迎える頃ということでした。

プログラムでは無伴奏を3本揃えてきましたが、イザイの無伴奏もバルトークの無伴奏も作曲者が少なからずバッハの無伴奏に触発されて書き下したものであるというところが面白い組み合わせ方だと思いました。

この日に放映されていませんでしたが、バッハの無伴奏パルティータの第2番も当日の演奏プラグラムに載っていたようで、これだけの重い曲目を一度に演奏できるということは、イブラギモヴァは相当な訓練を積んだバイオリニストだろうなと、聴く前から感じてしまいました。

さて、イブラギモヴァが舞台に登場します。

金髪で、まだどこかに童顔を残しているような丸顔に、上着は(たぶん ISSEI MIYAKE の)モノトーンのブラウスでボトムスは黒いワイドパンツ姿のファッションでした。

1曲目のイザイをすぐに弾き出します。

とても明るくて、これぞイタリアトーンという音色を聴かせてくれます。

ボーイングが滑らかで本当にきれいです。

無理に力をかけているようなところがなくバイオリンが嬉しそうになっているようです。

曲は、アルマンド〜サラバンド〜終曲へと進んでいきますが、乱れるところがありません。

終曲に入ると、ものすごく速いテンポで重音をとるのですが、弓を飛ばすことなくしっかり弾いています。

やはり訓練だけではない、天分のようなものを感じてしまいました。

2曲目にイブラギモヴァは、バッハの無伴奏パルティータ第3番を演奏しました。

2番目のルールは省きましたが(NHKの編集でしょうか。)プレリュード〜ガボット・ア・ロンドー〜メヌエット〜ブーレ〜ジークへと演奏は進んでいきます。

ここで、特徴的なことは全体的に非常に速いテンポを保って(3曲目のメヌエットを除いては)演奏したということでしょう。

今まで聴いていたバッハの無伴奏では、緩急自在に曲作りをしていくものが多くみられたのですが、イブラギモヴァは違います。

一度早いテンポを取って弾き始めると、絶対にそのテンポを途中で遅くするようなことはしません。

メトロノームでテンポを保ちながら、まるで練習曲を弾いているように速く、正確に演奏するのです。

そんな演奏姿勢のためか、真ん中に挟まったテンポの遅いメヌエットでは、気持ちの切り替えがうまくいかなかったような気がしました。

和音の不ぞろいや音の出にくいところがあって、やや若さが出た部分かなと思いました。

その意味では、イブラギモヴァは技術的には完成度が高い若手演奏家ですが、バッハをあたかも練習曲のように弾きこなしてしまうところに、これからの課題も残しているのだなと感じさせるものがありました。

最後は、イザイの無伴奏ソナタです。

第1楽章が演奏され始めて驚いたのですが、バルトークの複雑な和声音階をこんなに奇麗に響かせる演奏家は少ないと思いました。

これは私の考えすぎかもしれませんが、イブラギモヴァは、自分の中に平均律音階と純正律音階の両方を弾き分ける能力を持っているのではないかとまで思えてきます。

イブラギモヴァのバルトークはバイオリンの作る和声がとても澄んでいるのです。

ですから、第2楽章になってもフーガの旋律が美しく追いかけっこをしているようで、気持が良いのです。

しかし、第3楽章になると、やはり静かでフラジオレットを多用する内面的なところでもあり、疲れも多少影響してか、音を出すことに専心してしまい、深い瞑想の境地には達していなかったのではないかと感じました。

でも、第4楽章は、さすがに若さのエネルギーが再び湧き出して、速いテンポで最後まで勢いが衰えず演奏し通してしまったところがまたすごいと思いました。

イブラギモヴァの3つの無伴奏バイオリンを聴いて、彼女の和声づくりの非凡さには驚かされました。

また、速いパッセージは練習曲のようにテンポを変えずに弾き進んでいく卓越した技術の素晴らしさも実感しました。

ただ、イブラギモヴァが見せたゆっくりとした旋律に対する少しばかりの戸惑いについては、まだ若い彼女に今後期待していけるところだと思います。

本日の「クラシック倶楽部」はイブラギモヴァというアーチストに会えて楽しい時間を過ごせました。

以上、「クラシック倶楽部を楽しむ」でした。
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2008年03月12日

ジョセフ・リン バイオリン・リサイタル

「クラシック倶楽部を楽しむ」 本日のプログラム

[BShi 3月5日放送分]

ジョセフ・リン バイオリン・リサイタル

  ピアノ 松岡 淳

(演奏曲目)
  イザイ 無伴奏バイオリン・ソナタ 作品27から
          第6番 ホ長調
  コルンゴルト 組曲「から騒ぎ」作品11
  ブラームス バイオリン・ソナタ 第1番 ト長調 作品78
  コルンゴルト 歌劇「死の都」から
          ピエロの歌「あこがれと空想はよみがえる」

(会場)

  王子ホール

[所感]

今回の「クラシック倶楽部を楽しむ」は、ジョセフ・リンのバイオリン・リサイタルです。

前回のニコラ・ベネデッティが、まだ18歳のバイオリニストだったことを考えますと、ジョセフ・リンはベネデッティよりも10歳ほど年長にあたり、しかも両者のプログラムにはブラームスのバイオリン・ソナタ第1番が組み込まれておりどんな違いが出るか楽しみです。

さて、リンが白い中国服にスポーツ刈りの頭という格好で舞台に登場します。

最初は、イザイの無伴奏バイオリン・ソナタを演奏しました。

イザイは6曲の無伴奏バイオリン・ソナタを作曲していますが、その中の第6番が取り上げられていました。

これは、NHKの編集によるものか、リンが当日に第6番しか演奏しなかったのかは分かりません。

リンが演奏を始めると、イザイは特に前半が何となくオリエンタル風な響きを持って聞こえました。

これは、リンの着ている衣装によるものかと思ったのですが、それだけではなく、リンの弓使いにもよるのではないかと思います。

上げ弓になると時々胡弓のような音色が聞こえてくるような気がしました。

中盤の舞踏風の旋律が現れる部分からどのような展開があるのかと思っているうちに、リンはイザイをいとも簡単にサラッと弾き切って終わりました。

昔、ハイフェッツの演奏について、彼の全盛時代の演奏は完璧すぎてまるで機械が演奏するようで面白みがない、と言われていたことがあると聞いていますが、リンのイザイを聴いていて、何故かそんなことを思い出してしまいました。

リンのテクニックも解釈も完璧に近い演奏でしたが、何となく胸にドーンと来るものがなく、「ああ、イザイってこんなふうに弾くんだ。」と納得してしまうところがありました。

イザイの教則本としては、まさにお勧めの演奏でしょう。

2番目には、コルンゴルトの組曲「から騒ぎ」から4曲演奏されました。

コルンゴルトという作曲家については、私はあまり知りませんでしたが、20世紀前半の代表的作曲家としてオーストリアとアメリカで活躍したということです。

ユダヤ系のためアメリカに亡命し、全盛期の映画音楽なども手がけていたようですが、リンの演奏した組曲を聴く限りでは、ロマン派の音楽を引き継いだクラシック音楽の作曲家であるように感じました。

組曲から「花嫁の部屋の乙女」〜「ドグベリーとヴァージェス“夜警の行進」〜「庭園の場」〜「仮面舞踏会”ホーンパイプ“」の順で演奏されました。

シェークスピアの作品「から騒ぎ」の場面設定でコルンゴルトが作曲したものですが、リンはどの曲も親しみやすく洒落た感じで弾いており、特に「庭園の場」などは、イザイにも時々現れていた胡弓のような音色が聞こえてきてとても楽しい演奏でした。

3番目は、いよいよブラームスのバイオリン・ソナタ第1番です。

第1楽章の導入部で、昔の古い因習に固執する自分から何とか抜け出したいというような旋律を、どちらかというと淡々と弾いていきます。

どうやら、リン自身が古い因習というものを肯定して固執しているようにも聞こえました。

第2楽章に入ると、ちょっとしたトラブルが発生します。

それは、リンとピアノを演奏している松岡との間にある意見の不一致が顕在化したことによるものだと思われました。

前日のベネデッティは、若さという柔軟性をもって、ピアノの旋律にスッと乗っていったのですが、リンにはその素直さは最早ありません。

かたくなに自分の世界の奥へと入り込んでしまいます。

ピアノの松岡は、何とか人間的な温かさを取り戻そうとするのですが、リンは哲学的理論武装をしてしまったようでした。

ですから、聴いている者にメッセージがはっきりと届かなかったように思います。

第3楽章に至って、このようなリンの演奏は益々明確になってきました。

リンのバイオリンは、高音部においてはあくまでも伸びやかな柔らかい音色で響き、空間を埋め尽くしていくのですが、ブラームスの旋律が付いているため、いや、「ブラームスはこのように弾かなければいけない。」という固定概念で理論武装しているため、聴く者の心の中まで伝わってこないのです。

結局、ピアノとの意見の不一致は最後まで続いてしまったように思えました。

そして、最後にアンコールとして、リン自身が紹介していたコルンゴルトの歌劇「死の都」からピエロの歌が演奏されました。

これも、リンがピエロの気持ちになって「あこがれと空想はよみがえる」と歌っているのではなく、そのようなピエロを見て情景を描いているように感じ取れました。

リンの演奏を聴き終わって、確かに抜群の演奏テクニックと天才的才能というものを感じましたが、ドーンと心に響いてくる人間的温かみを味わうことはできませんでした。

ある意味では、リンの演奏はバイオリンを専門に学ぶ者たちの教則本として極めて高い水準のものではなかったかと考えてしまった次第です。

なお、NHKに一言。

今回の放送画像では、画像の飛びが多々見られとても目が疲れてしまいました。

これもリンの良い演奏の妨げになった大きな原因ではないかと思います。

「クラシック倶楽部」を聴取していて、NHKのスタッフの素晴らしさにはいつも驚いているのですが、今回のような画質の悪い放送を経験したのは初めてです。

演奏者のためにも、視聴者のためにも猛省のほどお願いしたいと思います。

以上、「クラシック倶楽部を楽しむ」でした。
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2008年03月10日

ニコラ・ベネデッティ バイオリン・リサイタル

「クラシック倶楽部を楽しむ」 本日のプログラム

[BShi 3月4日放送分]

ニコラ・ベネデッティ バイオリン・リサイタル

  ピアノ アリソン・ラインド

(演奏曲目)

  ブラームス バイオリン・ソナタ 第1番 ト長調 作品78
  ガーシュイン 歌劇「ポーギーとベス」より(ハイフェッツ編)
           ベスよ、お前はおれのもの
           そんなことはどうでもいいさ
  ラヴェル チガーヌ
  マスネ 「タイスの瞑想曲」(マルシック編)

(会場)

  ハクジュ ホール

[所感]

今回の「クラシック倶楽部を楽しむ」は、ニコラ・ベネデッティのバイオリン・リサイタルです。

ベネデッティは、2006年4月にユリア・フィッシャーの代替バイオリニストとして来日したそうで、そのとき18歳の若さであったようです。

当時のことについて私はよく知りませんが、若くしてかつ美貌の女性バイオリニストに日本のクラシック音楽界では、かなりセンセーショナルな話題を呼んだことと思います。

今回、クラシック倶楽部が取り上げたリサイタル映像は、2006年10月4日に収録されたものと紹介されていましたので、ベネデッティが初来日した同じ年のものといえます。

このような状況を考えると、本日の演奏曲目の中ではブラームスのバイオリン・ソナタをどのように纏めていけるのかということに興味が湧いてきます。

さて、ベネデッティが舞台に現れました。

白いロングドレスで女性としてはやや大柄ではないかと思われます。

ピアニストのラインドは黒いドレスを身に着けて対比をはっきりさせていました。

ブラームスのバイオリン・ソナタの1楽章が始まります。

4弦ともバランスのよい音色を出しますが、音に深みがないように感じました。

でも、若き弾き手ベネデッティは、とても懐かしい昔の歌を聴かせてくれるように優しく聴衆に語りかけてきます。

聴く者は「そうだ、しばらくふるさとに帰っていないから、久しぶりにふるさとに帰ろうか。」というような懐かしい気持ちを思い起こします。

第2楽章は、バイオリンが偉大なる詩人の作った詩を歌っているように響いていました。

久しぶりにふるさとに戻ったけれど、既に亡くなってしまった母への思いが募ります。

親孝行もできなかった我が身に不甲斐なさと悔恨の念を抱きます。

「そうだ、お墓参りをしよう。」と思い立ち、母の墓前に向かい、懐かしい昔を走馬灯のように思い出します。

心休まるひと時をベネデッティのバイオリンが作ってくれました。

第3楽章は、このソナタが「雨の歌」と呼ばれるようになったモチーフが現れるところですが、私には、また都会に戻った主人公が日常を取り戻し忙しい生活をしているような風景が浮かんでしまいました。

ベネデッティのブラームスを聴いて感じたのですが、ブラームスの言わば40歳代の全盛期に作られたこのバイオリンソナタを、まだ20歳にもならないベネデッティなりの物語の世界で聴衆に語りかけていたのではないかと思いました。

このような演奏者が、これから年月を積み重ねていくことは本当に楽しみなことだと思います。

ブラームスでこれだけの自分の世界を見せつけたベネデッティですから、この後に続く曲目は、もうお手の物というところでした。

「ポーギーとベス」ではベネデッティのバイオリンがおしゃべりをしているようでした。

「ベスよ、お前はおれのもの」では、バイオリンの音色に粘っこさがなく、ベネデッティが「ストーカー的愛情はごめんよ!」と言っているようで面白かったです。

また、「そんなことは・・・」では、ヒステリックに喚く女性と、それを軽くあしらう男性の会話が表現され、結局は「そんなことはどうでもいいさ」と言うせりふで終わってしまう、これもまた楽しい演奏でした。

ベネデッティは、バイオリンに話をさせたり歌わせたりすることが、とても上手なのです。

次は、ラヴェルの「チガーヌ」ですが、ベネデッティはこの曲で技術的な素晴らしさを聴衆に見せつけます。

今まで、音の重量感をやや感じなかったベネデッティのバイオリンがすごい響き方をします。

特に、ベネデッティは弓の張り具合をやや弛めにして、重音を非常にバランスよく響かせるのが上手です。

ベネデッティは、やはり只者ではありません。

この若きバイオリニスト恐るべし、などというようなものを感じてしまいましたが、最後に「タイスの瞑想曲」を演奏してくれたので救われた感じがしました。

ベネデッティは聴衆の心を全てお見通しのように、最後にはパニック状態に近かった聴く者の心をタイスで静かに癒してくれたのでした。

バイオリンの世界では、日本も含めて有望な新人がたくさん生まれていますが、ベネデッティはそんな中でも注目していきたい演奏者ではないかと思います。

なお、ピアノの伴奏を担当していたアリソン・ラインドは、ベネデッティより年長に見えましたが、歯切れのよい音色でベネデッティの若さをうまく盛り上げていたと感じました。

本日の「クラシック倶楽部」はベネデッティを知る上で、うまく編集されていたと思います。

以上、「クラシック倶楽部を楽しむ」でした。
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2008年03月09日

比叡山延暦寺 村治佳織

「クラシック倶楽部を楽しむ」 本日のプログラム

[BShi 3月3日放送分]

比叡山 延暦寺  村治 佳織

(演奏曲目)

  ギターのための12の歌から
    アイルランド民謡 ロンドンデリーの歌(武満 徹 編)

  ディアンス サウダージNo.3 F・クレンジャスに捧ぐ

  パオリス 過ぎ去りしトレモロ

  ギターのための12の歌から
    J.レノン&P.マッカートニー ヒア・ゼア・アンド・エブリウェア(武満 徹 編)
             ヘイ・ジュード(武満 徹 編)
    中田 章 早春賦(武満 徹 編)

  テオドラキス エピタフィオスから
         第7曲「不死の水」
         第4曲「わが星は消えて」
         第6曲「君は窓辺にたたずんでいた」

  ギターのための12の歌から
    H・アーレン オーバー・ザ・レインボウ(武満 徹 編)

  武満 徹 すべては薄明の中で

  L・リード&B・メイソン ラスト・ワルツ(武満 徹 編)

(収録)  2004年11月23日, 滋賀県大津市 比叡山延暦寺 にない堂
      2004年11月24日, 滋賀県大津市 比叡山延暦寺 根本中堂

[所感]

今回の「クラシック倶楽部を楽しむ」は、村治佳織が比叡山延暦寺境内で行ったギター・リサイタルです。

これは、NHK大阪支局が特別企画として収録編集したものらしく、比叡山延暦寺の「にない堂」及び「根本中堂」を背景として、村治佳織がある時は境内の巨木によってできる木漏れ日を浴びながら、またある時は夕暮れや月明かりのなかで、比叡山の大自然と融合しながらギターを演奏していました。

もちろん、製作スタッフのほかには聴衆はいませんから、村治のギターはより自己内面的な音楽を作り出していたのではないかと思います。

演奏の合間には、琵琶湖から比叡山を望む幽玄な映像や、開祖最澄が灯して以来1200年燃え続けているという「不滅の法灯」などが印象深く映し出されていました。

天才少女と言われてクラシックギターの世界に登場した村治ですが、10年余の年月が流れ、その間に演奏活動をする上で困難な時期もあったように聞いていました。

しかし、比叡山の村治は、NHKの企画に何故か呼応するように自分自身を自然の中に投げ出してしまったような開放感を味わっているようでした。

このような気持ちで村治のギターを演奏する姿を見ていると、村治の表情が聖観音菩薩のように映ってしまいました。

また、この演奏が屋外で収録されているにもかかわらず、村治のギターがとてもバランスよく鳴り響いていたということに、NHKスタッフの技術力のすごさを感じてしまいました。

演奏曲目には、「ギターのための12の歌」からこれまでに親しんできたメロディの数々が取り上げられており、村治の弦が弾き出す何とも言えない温かく、奥深い音色によって聴く者を安らぎの世界へ案内するようでした。

これは、延暦寺のにない堂や根本中堂が村治の背景に映り、ギターに慈悲深い音色を共鳴させているように感じました。

さて、演奏曲目の中でも特に印象に残ったものを抜き出しますと、まず、ディアンスのサウダージNo.3を挙げたいと思います。

この曲は延暦寺東堂の根本中堂の前で暗くなってから演奏されていたと思いますが、最初の不協和音の導入部からすぐに陽気な囃子歌のようなメロディが繰り返され、延暦寺の仏像たちに「さあ、出てきて一緒に踊りませんか」と誘っているというところでしょうか。

中間部ではウェスターン・ミュージック風で、誘われて出てきた仏像たちを機関車に乗せて大草原を走り抜けていくような爽快感が感じられました。

最終部分は、軽快な音楽に乗って楽しんでくれた延暦寺の仏像たちを、また元の場所に収めるようにして終わります。

サウダージは映像とテロップで比叡山延暦寺の紹介がされた後で、ある意味ではプログラムのトップに演奏された曲だったので、村治が延暦寺にちょっと洒落た言葉で挨拶をしたような演奏でした。

続いて印象的だったのは、テオドラキスの作品でした。

現代作曲家の小品エピタフィオスから「不死の水」、「わが星は消えて」、「君は窓辺にたたずんでいた」の3曲を演奏しました。

「不死の水」はタイトルからは想像もつかない優しく語りかける言葉が村治のギターから流れてきました。

この言葉こそが、人に永遠の命を与える水のようなものだと言っているようでした。

「わが星・・・」は激しく踊るダンサーのようなリズムが刻まれますが、そこにはロマン派的な節度が垣間見られます。
それは、あたかもチャイコフスキーの組曲の一節のようでもありました。

「君は窓辺に・・・」のときには演奏している村治の後ろに天空に浮かぶ大きな月が映し出されました。

どこかで聞いたことのある懐かしいメロディが村治のギターから、その天空に広がって、聴く者を包み込むように感じました。

急進派の現代作曲家テオドラキスとは思えないほど、ロマンティックで優しい旋律が創造されていくことに驚きを覚えました。

そして村治の演奏曲目の中で、最も印象深く残ったのは、武満徹の「すべては薄明の中で」だったのではないでしょうか。

琵琶湖から比叡山を望む映像から、やがて延暦寺東塔の根本中堂の村治へと映像が流れていきます。

第1テーマと第2テーマでは二人のそれぞれの人物が薄明に照らされた森木立の中を一歩ずつ注意深くゆっくりと、お互いを探し求めて歩いている様子が目に浮かびました。

村治のギターは1音ずつ丁寧に音を拾うようにゆっくりと比叡山の大自然の中へ透き通った音を飛ばしているようでした。

第3テーマになると何かが動きます。森木立に生息するリスのような小動物でしょうか。

木立の幹を駆け上ったり、駆け下りたりしながら、薄明の自然の中にいる二人の人間を驚かせます。

第4テーマでは、薄明の中でとうとう二人は出会うことができます。

しかしながら、二人が一緒に何かをやろうと企てても、薄明の中ではみんな行き違いになってしまうのです。

片目をあけてマッチ棒を左右の手に持って合わせようとしてもうまくできないようなもどかしい様子を村治のギターが描写します。

この武満の作品を演奏する村治には、まだ自分の中にある音楽に対する大きな可能性を模索し続けていきたいという強い意志のようなものを感じました。

本日の「クラシック倶楽部」は、NHK大阪支局の特別企画で、世界遺産にも登録されている比叡山延暦寺を舞台にして、村治佳織のギターを聴かせてくれました。

村治自身がインタービューで話していましたが、「お堂の外にいることによって、自然を感じながら演奏ができて良かった。」の言葉通り、視聴する側にとっても大自然の中で心が和み、身も洗われるような素晴らしい音楽体験ができました。

以上「クラシック倶楽部を楽しむ」でした。
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2008年03月07日

アレクサンダー・ガヴリリュク

「クラシック倶楽部を楽しむ」 本日のプログラム

[BShi 2月28日放送分]

アレクサンダー・ガヴリリュク ピアノ・リサイタル

(演奏曲目)
  ラフマニノフ 練習曲「音の絵」作品39
  モシュコフスキ 熟達の練習曲 作品72 第11 変イ長調
  バラキレフ 東洋の幻想曲「イスラメイ」

(会場)
  東京オペラシティ コンサートホール

[所感]

今回の「クラシック倶楽部を楽しむ」は、アレクサンダー・ガヴリリュクのピアノ・リサイタルです。

ガヴリリュクについては、将来有望な若手ピアニストという評判を聞いていましたが、実際の演奏姿を見るのは初めてでした。

今回の演奏は、ガヴリリュクが23歳の時のものということですが、すでに17歳のころから日本では彼の才能は認められていたようです。

テロップでは2002年に交通事故で再起を危ぶまれたことを克服して、2005年にはルービンシュテイン・コンクールで復活の優勝をしたと紹介されていました。

不死鳥のように復活し、日本公演も多いということから日本にもファンがたくさんいるようです。

まず、舞台に登場して、ピアノの前に座るとしばらくの間沈黙してから、ラフマニノフの「音の絵」を弾き始めます。

背中を丸めて、まるでピアノに襲いかかるような様子で演奏するのですがピアノから出てくる旋律は決して悲鳴ではなく、クリアで説得力のある骨太の音色です。

第1曲:水がぼこぼこ激しく湧き出ている。やがて清流になり、堰を落ちながら流れていくのだが、絶え間なく水はぼこぼこと湧き出し続ける。

第2曲:広い平原に靄が一面かかっている静かな情景。風が吹き、あたり一面に大粒の雨を降らせるが、やがてもとの静かな靄に覆われた広い平原の風景を取り戻す。

第3曲:「大変だ、大変だ。号外だよ。」「どれ何の事件なんだ。」と人々が集まって号外を奪い合う。「大変だ、大変だ。号外だよ。」と言いながら号外配りは駆け抜けていく。

第4曲:子供たちが面白い遊びを見つけて、みんなで遊びまわっている。それを見ていた大人たちも、子供たちに一緒に加わって遊び始める。

第5曲:港に停泊している漁船に、打ち寄せる波。かなり激しく漁船に打ち寄せている、がやがて波は静まっていく。

第6曲:大きな魚がえさを求めておよぐ。小さな魚は食べられないように逃げまどう。その様子を見ていたもっと大きな魚が大きな魚も小さな魚も一気に飲み込んでしまう。

第7曲:食肉の獰猛な恐竜が獲物をとらえて食べている。その場所から巨木の間を通して草食の恐竜がのんびりと群れをなしている。

第8曲:真空の多角形の容器の中で、ボールがあちこちに跳ね返りながら、止まることを知らず跳ね回っている。

第9曲:地下帝国ではネズミとモグラの戦いが始まっている。

ピアノの演奏者にとっては決して易しいとは言えない作品と思えますが、ガヴリリュクは相変わらずピアノに襲いかかるようにして9曲を一気に引いてしまいました。

ガヴリリュクは聴く者に息をつかせる間もないほど、どんどん音の世界に引き込んでいきます。

技術がどうの、音楽性がどうのではなく彼のもっているエンターテイメント的才能なのでしょうか。

彼がこの曲を弾いているときに、どんなことを思い描いているのか是非聞いてみたいものです。

第2番目は、モシュコフスキの「15の熟達の練習曲作品72」から第11番を演奏しました。

それほど長い曲ではないのですが、聴いていると重い荷物を積んだ荷車が、果てしなく長い坂道を上ったり下ったりしながらずっと進み続けるようで、疲れてしまいます。

ガヴリリュクは、弾き終わった後でも少しも疲れた様子も見せず笑顔を浮かべています。

聴く者をこれだけ疲れさせておいて、本人はケロッとした顔をしているなんて、と腹立たしくもなりましたが、音楽の世界でのことでは仕方ありませんよね。

第3番目はバラキレフの「イスラメイ」です。

前のモシュコフスキですっかり疲れさせておいて、今度は速い踊りのようなテンポで「早く行け、速く走れ!」と追いかけられる気分になってしまいます。

「なんて非情な!」と思って逃げていると、展開部になってやっとオアシスのような休憩の場が開けてきます。

「助かった、休めるぞ。」と一息ついているのも束の間、また、最初よりも激しく「もっと行け、それ行け!」とばかり追いかけられる羽目になります。

何故か、追いかけている旋律にハンガリアン狂詩曲のようなメロディが現れたりして、追いかける方は笑って楽しんでいるようです。

演奏が終わると、また何事もなかったように微笑んでいるガヴリリュクを見ることになるのです。

本日の「クラシック倶楽部」はNHKのスタッフの意図的企画でガヴリリュクの技術的な凄さを見せつけられたような気がします。

ピアノに襲いかかるような勢いで、ピアノを征服してしまうこの若い演奏家ガヴリリュクが、ショパンやモーツアルトをどんなふうに演奏するのか、聴く機会をまた是非作ってほしいと思いました。

以上、「クラシック倶楽部を楽しむ」でした。
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2008年03月06日

庄司紗矢香

「クラシック倶楽部を楽しむ」 本日のプログラム

[BShi 2月28日放送分]

Aプログラム
(演奏曲目)
  チャイコフスキー バイオリン協奏曲 ニ長調 作品35
       バイオリン 庄司紗矢香
         管弦楽 ウラル・フィルハーモニー管弦楽団
         指揮  ドミートリ・リス

Bプログラム
(演奏曲目)
  スメタナ わが祖国から 交響詩「モルダウ」
         管弦楽 東京都交響楽団
         指揮  小泉和裕

(会場)
  東京国際フォーラム ホールA(ラ・フォル・ジュルネ音楽祭2007)

[所感]

今回の「クラシック倶楽部を楽しむ」は、ラ・フォル・ジュルネ(熱狂の日)音楽祭2007で企画されたプログラムから第4弾です。

演奏曲目は、庄司紗矢香によるチャイコフスキーのバイオリン・コンチェルトと東京都交響楽団によるスメタナのモルダウです。

A プログラム:

 Aプログラムは、庄司紗矢香がドミートリ・リスの率いるウラル・フィルハーモニーとチャイコフスキーのバイオリン協奏曲を演奏します。

庄司といえば、99年にパガニーニ国際バイオリンコンクールで史上最年少優勝を果たし、一躍有名になったわけですが、それから9年という年月が流れ、彼女がいまチャイコフスキーをどのように表現してくれるのか本当に楽しみです。

さて、庄司が朱に近い赤いドレスで舞台に登場します。

ウラル・フィルハーモニーが導入部を演奏し始めます。

今まで気がつかなかったのですが、指揮者のリスは比較的大きな動作で棒を振っています。

いよいよ庄司のバイオリンが歌い始めました。

庄司の手のひらは意外と小さいのに驚きました。

そして細い指先は大きく見えるバイオリンの指板上を激しく動き回ります。

庄司は、自分の作り出す音の一つひとつに納得するかのように頭を振りながら弓を力強く運んでいきます。

第1楽章のカデンツアでは、ハイフェッツ編(?)を取り込んでいたのでしょうか、庄司の演奏はいつ聴いていてもむらがなく安定しています。

リスは、庄司の演奏が心地よく響いてくるせいか、オーケストラパートになると我を忘れて気持ちよさそうにハイテンポになって繋ぎます。

ですから、バイオリンソロの部分とオーケストラパート部分のテンポの違いが大きすぎて、少し違和感を覚えました。

また、時々庄司が演奏しながらニコッとする場面がありましたが、おそらくオーケストラとの駆け引きが打ち合わせとは違っている、という表情ではなかったかと感じられます。

このように考えると、クニャーゼフのときも、ベレゾフスキーのときもバックを演奏したのはリスの指揮するウラル・フィルハーモニーでしたから、リスの方にもかなり問題があったのかもしれません。

庄司は、クニャーゼフやベレゾフスキーとは違って、柔軟性と許容力がある演奏をしていたのでしょう。

最後まで、オーケストラとはトラブルを起こさずに、見事チャイコフスキーを弾き切ってしまいました。

しかしながら、庄司もオーケストラに合わせなければならない分だけバイオリンに無理をさせていたせいか、特に弓を飛ばして演奏する部分などは音色に雑音が入ってしまい、いつもの勢いが感じられませんでした。

このようにして、庄司のチャイコフスキーは一見何事もなく終わってしまいましたが、オーケストラとの困難な状況の中にあっても、自分の感性を出しつつまとめていったこの若い演奏家には、相当の人間性を持った器量というものを感じました。

クラシック倶楽部ではラ・フォル・ジュルネ音楽祭2007から、クニャーゼフが弾くドボルザークのチェロ協奏曲と、ベレゾフスキーが弾くチャイコフスキーのピアノ協奏曲と、今回の庄司の弾くチャイコフスキーのバイオリン協奏曲という協奏曲としては3つのプログラムを取り上げましたが、どれも非常に困難なものとなりました。

クニャーゼフはオーケストラに抗議をし、ベレゾフスキーはオーケストラを半ば無視し、庄司はオーケストラに多大な寛容性を示さなければならなかったというように思えます。

でも、リス率いるウラル・フィルハーモニーが悪いと非難するつもりは全くありません。

むしろ、このような環境を作ってしまったラ・フォル・ジュルネ音楽祭の企画執行部のやり方に問題があったのではないかと思います。

せっかく素晴らしいソリストを迎たのに、十分にバックオーケストラとの打ち合わせの時間的余裕があったのでしょうか。

広く多くの人々にクラシック音楽に親しんでもらうという趣旨で、盛りだくさんの企画をし、素晴らしい演奏家たちを迎えても、彼らが本当に良い演奏を聴かせられるような環境が用意されていなければ演奏者にとっても、また聴衆にとっても大変不幸なことになります。

ラ・フォル・ジュルネ音楽祭をこれからも続けていくとするならば、主催者側にぜひ考えていただきたい大きな課題だと思います。

Bプログラム:

 Bプログラムは、以前にも紹介しましたが、小泉和裕が率いる東京都交響楽団のスメタナです。

前回は、わが祖国から「ブラニーク」を演奏していましたが、今回は「モルダウ」です。

Aプログラムで、ラ・フォル・ジュルネ音楽祭のあり方に少なからず疑問を持ってしまったせいか、都響の演奏についても、東京で開催される素人向けの音楽祭なのだから東京都の交響楽団が普段の練習風景を披露して見せます、というふうに何となく思えてきました。

先日の「ブラニーク」のときに感じた都響の無機質な底抜けに明るい音色は、都響がどこぞの学芸会に出張演奏に出かけて行った時の音なのかなと思ってしまいました。

それで、「モルダウ」も何となく聴き流している間に終わってしまいました。

ごめんなさい。

「クラシック倶楽部」では、この4日ほど、ラ・フォル・ジュルネ音楽祭のプログラムの抜粋を放映してくれました。

いろいろな音楽祭を通じて、クラシック音楽愛好者の底辺を広げていこうという試みがなされ、そのために多くのスタッフの方がご苦労されていることに対しては頭の下がる思いです。

そして、これらの音楽祭に参加する演奏家たちが、プログラムのスケジュールの関係で非常に厳しい演奏環境におかれているのだということもよく分かりました。

今後、音楽祭に参加する演奏家の皆さんが快適な演奏環境で聴衆に楽しい演奏を聴かせられるようになることを願ってやみません。

以上、「クラシック倶楽部を楽しむ」でした。
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2008年03月04日

組曲「くるみ割り人形」&ボリス・ベレゾフスキー

「クラシック倶楽部を楽しむ」 本日のプログラム

[BShi 2月27日放送分]

Aプログラム
(演奏曲目)
  チャイコフスキー 組曲「くるみ割り人形」作品71aから
         管弦楽 ビルバオ交響楽団
         指揮  飯森泰次郎

Bプログラム
(演奏曲目)
  チャイコフスキー ピアノ協奏曲 第1番 変ロ短調 作品23
         ピアノ ボリス・ベレゾフスキー
         管弦楽 ウラル・フィルハーモニー管弦楽団
         指揮  ドミートリ・リス

(会場)
  東京国際フォーラム ホールA(ラ・フォル・ジュルネ音楽祭2007)

[所感]

今回の「クラシック倶楽部を楽しむ」は、ラ・フォル・ジュルネ(熱狂の日)音楽祭2007で企画されたプログラムから第3弾です。

演奏曲目は、全てチャイコフスキー作曲のポピュラーな曲で、みんなにクラシック音楽を楽しんでもらおうという、この音楽祭の趣旨にはぴったりの出し物ではないでしょうか。

A プログラム:

 Aプログラムは、飯森泰次郎の指揮によるビルバオ交響楽団が、チャイコフスキーの「くるみ割り人形」から小品を抜粋して演奏しました。

くるみ割り人形のバレーは、最後に見たのがもう2年ぐらい前になります。

熊川哲也とKバレーカンパニーの公演でした。

とてもドラマティックで、緊張感もあり、幕が下りてから観客が全員スタンディング・オベイションをしていたことを憶えています。

さて、組曲の方ですが、曲目はクララが王子様に連れられてお菓子の国の魔法の城で見た、いろいろな国の踊りによって構成されています。

何故、くるみ割り人形と、はつかねずみの戦いの場面の音楽が組み入れられていないのかな、などと思っていたのですが、チャイコフスキーが別の演奏会で手持ちの曲がなく、取り敢えず作曲途中のくるみ割り人形を組曲として仕上げたということらしいのです。

ですから、まだ戦いの場面などの曲は完成していなかったのかもしれませんね。

納得したところで、あとは楽しく舞踏会を見ているように聴いていればよいのですが、指揮者がワグナーやリヒャルト・シュトラウスに造詣の深い飯森に対して、スペインを本拠地にする底抜けに明るいビルバオ交響楽団という組み合わせに興味の焦点が移ってしまいました。

演奏が始まりました。

曲の流れは、小さい序曲〜こんぺい糖の踊り〜トレパーク〜アラビアの踊り〜中国の踊り〜あし笛の踊り〜花のワルツ、と演奏されていきます。

小さい序曲は、飯森が歌劇の幕が上がる前のように丁寧に指揮をしていました。

ビルバオ交響楽団も飯森の思いに応えるように静寂のメロディを美しくしかもやや暗く演奏していました。

やがて、舞踏曲に演奏が移りました。

飯森は、目の前でバレーダンサーが踊っているかのように遅めのテンポで指揮を執ります。

でも、この日はバレーのための演奏ではありませんでした。

結局、飯森のバレーダンサーが踊れるようなテンポで棒を振っていたことが、最後まで組曲「くるみ割り人形」を盛り上がらせることができなかったように感じました。

飯森は最後の花のワルツでは、テンポを上げようと棒を振るのですが、ビルバオ交響楽団は飯森のテンポに乗ることなく、全般に重い演奏のままで、指揮者がオケに引っ張られたように思えました。

ビルバオ交響楽団も中音部で響くべき主旋律が金管楽器のバランスが悪いせいか、もやもやとしていて明瞭感がありませんでした。

もう少し、軽快な花のワルツを聴いて、最後にはすっきりしたかったという感じが残りました。

Bプログラム:

 Bプログラムは、ボリス・ベレゾフスキーの弾くチャイコフスキーのピアノ・コンチェルトです。

弱冠20歳にしてチャイコフスキー国際音楽コンクールを制覇したベレゾフスキーですが、その後17年の時の経過と共に、どのようなピアノを聞かせてくれるのか胸がわくわくしてしまいます。

ドミートリ・リス率いるウラル・フィルハーモニー管弦楽団は、先日クニャーゼフのチェロ協奏曲(ドボルザーク)で、非常に冷静かつ豊かな音楽表現をしていたオーケストラです。

さて、ホルンの音響とともに第1楽章が始まりました。

ピアノが歌い始めます。

「おや、ベレゾフスキーがおかしいぞ。」とすぐに感じられるような演奏です。

大事な音は外すし、ベレゾフスキーは付点音符を全く大事にしていないのです。

ベレゾフスキーは、かなり勝手気ままに弾いていきます。

指揮者のリスは、やはりすぐにベレゾフスキーの異変に気付きました。

この日のベレゾフスキーのピアノにオーケストラがぴったり合わせるなど至難の業です。

リスは割り切りました。「オーケストラ・パート部分のところだけでも、しっかりやらせてもらいますわ!」とばかり指揮棒を振ります。

第2楽章に入っても、全く改善されませんでした。

ベレゾフスキーのピアノの旋律が少しも流れていかないのです。

ですから、ピアノとオーケストラはバラバラに空中分解です。

第三楽章になってからは、もはや最悪の状態です。

ベレゾフスキーは「今日はもう早く弾き終えて帰りたいよ。」と言わんばかりにいい加減に弾きます。

リスはリスで、「そうですか、じゃあオーケストラも勝手にやらせてもらいますよ。」という具合にしか聞こえませんでした。

結局、最後までベレゾフスキーは本気モードになれず、雑な演奏で終わってしまい、期待は大きく裏切られました。

これがベレゾフスキーにとっての17年という歳月の流れだとは思いたくありません。

きっと、ベレゾフスキーは体調が悪く、下痢でもしていて、早く演奏を終わらせたかったのではないでしょうか。

演奏後に、聴衆から「ブラボー!」という声がかかっていましたが、こういうときには足を踏み鳴らしてブーイングの方がふさわしいと思います。

ラ・フォル・ジュルネ音楽祭が、普段クラシック音楽に縁のない人たちにも広く聴いてもらおう、という趣旨で開催されているとしても、こんないい加減な演奏会を企画することは許せません。

本日の「クラシック倶楽部」は、こんな期待はずれなことも、たまにはあるということを教えてくれました。

以上、「クラシック倶楽部を楽しむ」でした。
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スメタナ「ブラニーク」&フォーレ「レクイエム」

「クラシック倶楽部を楽しむ」 本日のプログラム

[BShi 2月26日放送分]

Aプログラム
(演奏曲目)
  スメタナ わが祖国から 交響詩「ブラニーク」
    演奏 東京都交響楽団
    指揮 小泉和裕

Bプログラム
(演奏曲目)
  フォーレ レクイエム 作品48
    ソプラノ アナ・キンタンシュ
    バリトン ピーター・ハーヴィー
    管弦楽  シンフォニア・ヴァルソヴィア
    合唱   ローザンヌ合唱団
    指揮   ミシェル・コルボ

(会場)
  東京国際フォーラム Aホール(ラ・フォル・ジュルネ音楽祭2007)

[所感]

今回の「クラシック倶楽部を楽しむ」は、ラ・フォル・ジュルネ(熱狂の日)音楽祭2007で企画されたプログラムから第2弾です。

A プログラム:

 本日のAプログラムは、小泉和裕指揮の東京都交響楽団がスメタナのわが祖国から「ブラニーク」を演奏します。

NHKに企画スタッフが、わが祖国の6曲の中から「モルダウ」とは違って普段は単独ではなかなか取り上げられない「ブラニーク」をどうして選んだのかは分かりませんが、テロップに「ブラニークはボヘミア地方の山の名」とだけ出して、後は聴き手のご想像にお任せしますと言っているようで粋な計らいだなあと思いました。

案外、時間枠の都合だけだったのかもしれませんが・・・。

さて、演奏が始まります。

祖国の兵士が隊列を組みながら人々の前を通り過ぎてブラニーク山の方へ歩いてゆきます。

兵士たちの通り過ぎた後の風景は、のどかで人々がいつもと変わらぬ平和な生活をしています。

突然、空の上のほうに得体の知れないものが現れます。

村の人々は、あれは一体何だろうと口々に言いながら騒いでいます。

得体の知れないものは、人々の頭上に降り注いで、邪悪の魂を流布させて村中を苦しめてしまいます。

人々は邪悪の魂と戦いますが劣勢で、ますます苦しい立場に追い込まれていきます。

そこへ、ブラニーク山の方から進軍のラッパと共に祖国の兵士たちがやってきます。

勇敢な兵士たちは、邪悪の魂と勇猛果敢に戦って、遂には村中の人々を苦悩から解放します。

村中の人々は喚起に沸き、勇敢に戦った兵士たちを称えます。

と、都響はこんな風に曲づくりをしてくれたように思います。

指揮者の小泉は、驚くほど明解に都響を導いていたと思いますが、都響の音色はあまりに明る過ぎはしないかと感じました。

別に、オーケストラが明るいハーモニーを作り出すこと自体は悪くないのですが、いささか粗野に聞こえたような気がします。

このオーケストラは、この演奏を聴く限りでは、プログラムにストラヴィンスキーあたりの曲を選んだ方が良かったのではないでしょうか。

Bプログラム:

 本日のBプログラムは、宗教曲を指揮させればぬくもりのある温かい指揮で定評のあるミシェル・コルボによるフォーレのレクイエムです。

曲の流れは、1.入祭唱とキリエ(合唱)〜2.奉献唱(バリトン、合唱)〜3.聖なるかな(合唱)〜4.ああイエズスよ(ソプラノ)〜5.神の子羊(合唱)〜6.われを許したまえ(バリトン、合唱)〜7.楽園にて(ソプラノ、合唱)、のように流れていきます。

先日、90歳半ばを過ぎてもまだ現役の医師として活躍していらっしゃる日野原重明先生が、「レクイエムの中ではフォーレのものが一番好きです。」と話しておられましたが、先生は、死期を自覚して静かに迎える、という臨床療法を提唱されているだけあって、先生のお好きなフォーレは本当に清楚で美しく、恐れることなく楽園招かれていくのにふさわしい曲だと感じました。

特に、ソプラノのキンタンシュがビブラートの少ない澄んだ声で歌う、4.ああイエズスよ、は聴く者の胸の奥に沁み込むものがありました。

また、バリトンのハーヴィーは、どちらかというとテナーのような柔らかい声で、6.われを許したまえ、を歌い始めますが、その声は感情の高まりとともに深淵の底にまで響きわたってきました。

ローザンヌ合唱団は合唱4部の女性パートにボーイソプラノが2人入っていたように思いましたが、とても奇麗なハーモニーと時には透きとおるユニゾンを作り出していました。

管弦楽のシンフォニア・ヴァルソヴィアも大げさにならず、抑制された調和を持ってレクイエム全体を支えていたのには感心しました。

やはり、指揮者コルボの曲作りの妙技なのでしょう。

このように、フォーレのレクイエムを聴いていると、当時のカトリック教会の戒律とか宗教的価値観に対して、フォーレ自身が少なからず疑問を抱いていて、「主による救いはもっと寛容な慈悲によるものではないのか?」と自問自答しながら作曲したものではないかなと感じてしまいます。

本日の「クラシック倶楽部」のプログラムの組み合わせは、ラ・フォル・ジュルネ音楽祭に立ち寄って、いろいろな音楽を聴いて楽しんでください、というところでしょうか。

以上、「クラシック倶楽部を楽しむ」でした。
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2008年03月03日

アレクサンドル・クニャーゼフのドボルザーク

「クラシック倶楽部を楽しむ」 本日のプログラム

[BShi 2月25日放送分]

アレクサンドル・クニャーゼフのドボルザーク

(演奏)
  チェロ アレクサンドル・クニャーゼフ
  管弦楽 ウラル・フィルハーモニー管弦楽団
  指揮  ドミートリ・リス

(曲目)
  ドボルザーク チェロ協奏曲 ロ短調 作品104

(会場)
  東京国際フォーラム ホールA(ラ・フォル・ジュルネ音楽祭2007)

[所感]

今回の「クラシック倶楽部を楽しむ」は、アレクサンドル・クニャーゼフがドミートリ・リス指揮のウラル・フィルハーモニー管弦楽団と組んで、ドボルザークのチェロ協奏曲を演奏します。

この演奏会は、東京で開催されたラ・フォル・ジュルネ(熱狂の日)音楽祭2007のプログラムの中の一つとして企画されたものということです。

音楽祭の芸術監督であるルネ・マルタンがインタビューの中で、クラシック音楽というと集まる人がどうしても専門色が強くなってしまうので、そのような垣根を取り払って多くの一般の人にクラシック音楽を楽しんでもらえるように、入場料やプログラムにも反映させているというような趣旨で話をしていました。

日本では2005年から毎年開催されるようになったそうですが、確かにクラシック音楽に誰でもが気軽に接する機会が増えるということは大切だと思います。

東京だけではなく地方でも開催されている、いろいろな音楽祭がありますが、このような企画を通じて私たちに残された財産とも言えるクラシック音楽が、多くの人に共有されていくならば素晴らしいことだと思います。

ところで、ドボルザークがチェロ協奏曲を作曲した時期は、彼がニューヨークのナショナル音楽院に院長として招かれていた1895年ごろと言われています。

このころのニューヨークがどのような状況だったのかよく分かりませんが、アメリカではすでに南北戦争が終わって30年ほど経っていて、大量の移民を受け入れながらすごい勢いで経済発展をしていた時期でした。

ニューヨーク市はブルックリン地区を含む周辺5地区を合併してアメリカ第一の都市になろうとしていました(1898年)。

カーネギーホールで有名なアンドリュー・カーネギーもこのころ鉄鋼王として活躍していましたし、おそらく音楽活動に対するパトロンのような人物もかなりいて、ドボルザークの作曲活動にとっても良い環境が得られていたのではないかと思います。

ドボルザークがニューヨークに3年間ほどいる間に、世界中でこれほどポピュラーになった「新世界」や「チェロ協奏曲」などの代表的作品を作曲できたということは、彼にとってアメリカはよほど刺激的だったのではないかと考えます。

現在も芸術家やアーチストたちがニューヨーク滞在を体験して、その後の彼らの製作活動に重要な影響を受けているという例がたくさんあることを考えますと、ドボルザークはハシリだったといえるかもしれません。

ここで、ドボルザークのチェロ協奏曲について解説などをするのは釈迦に説法になってしまいますが、ドボルザークがニューヨーク滞在中に、アメリカ建国の歴史的事件についていろいろ見聞したことが第1楽章の創作発想に少なからず影響を与えているのではないかと思います。

ですから、第1楽章には開拓時代の騎兵隊の行進とか、入植した人々の開拓パワーなどをドボルザークが感じたまま音楽にして表現し、自分も今そのアメリカにいるという仲間意識を持っているのではないかと思います。

第2楽章についてですが、よく「新世界」の第2楽章と対比され、ドボルザークの故国に対する郷愁という捉え方をされています。

確かに旋律は郷愁的であるということは否めませんが、ドボルザークはアメリカが初期の厳しい開拓時代を乗り越えて、新しい国の建設へと進んできた歴史的時間の経過を静かに辿っている様子を旋律にしているのではないかと考えます。

ドボルザークは第3楽章では、自分が滞在しているニューヨークの現在の姿、すなわち、急激に経済発展しながらアメリカという国のけん引役になっていく勇壮な姿を表したかったのではないかと思います。

時折、民族舞踏的旋律が出てきますので、ドボルザークの故国に対する感傷的な発想と思われがちですが、むしろ、アメリカが多民族の集合体から成り立つ自由な国家だということを表現していると考えたほうが自然のような気がします。

このようにチェロ協奏曲を聴いていると、ドボルザークは3年間のニューヨーク生活の体験から、まさに発展途上の絶頂期にあるアメリカに対する応援歌を作曲したのではないかと思えてきます。

さて、クニャーゼフのチェロですが、1楽章はアメリカのパイオニア魂というものをクニャーゼフ自身も強く感じながら弾き切ったように思え、彼のチェロには説得力があったと思います。

ところが、クニャーゼフは、第2楽章と第3楽章になると指揮者のリスの方を向いて、自らの表情を作り「ここはもっと豊かな音が欲しい」と何度も訴えかけているようでした。

クニャーゼフのチェロは確かに時には繊細で、また時には豊かで、自由自在に歌っていたと思います。

しかし、クニャーゼフの演奏姿勢は私にはむしろ挑発的に感じ取れました。

ソリストとオーケストラは、本来はリハーサルでかなりの意思の疎通を図っていてしかるべきだと思います。

指揮者のリスはウラル・フィルハーモニーの音楽監督として10年以上も音楽づくりを共にしてきているのですから、クニャーゼフの要求はリハーサルで十分理解していたはずです。

本番になって、クニャーゼフがあれほどまでに表情をあらわにして指揮者を挑発するような様子を見せることにやや疑念が残りました。

しかし、クニャーゼフについては、アメリカの演奏旅行中に交通事故にあい、再起を危ぶまれるほどの困難な時期があったが奇跡的に復活したとテロップで紹介されていました。

ですから、苦労人クニャーゼフが「おれの生きざまを見てくれ!」と言っていたと思うより仕方がないでしょう。

今回、クニャーゼフのチェロを聴いてそのドラマチックな響きに圧倒されてしまったのは、おそらく彼自身が非常にドラマチックな人生体験をしてきたところによるものなのかなと感じました。

また、リスの率いるウラル・フィルハーモニーは、クニャーゼフの要求によく応えて(挑発に乗ることなく)メリハリのある気持ちの良い演奏をしていたと思います。

「クラシック倶楽部」では演奏者の表情まで克明に見えてしまうので、またそれが楽しい一面なのかもしれません。

以上、「クラシック倶楽部を楽しむ」でした。
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